溢れる映画偏愛、喰らえ!

65パーセントは映画、
15パーセントは格闘技、
残り20パーセントは、極エロと自分自身について。
偉そうでなく、かといって卑下するわけでもなく。
なにごとも、ユーモアを忘れずに語っていきたい。
ユーモアを忘れたら・・・それはちょっとオニイサン、
あまりに寂しい世の中じゃありませんか。

2008年09月30日

「セコク」はありません、「イジキタナイ」だけです。

「・・・あのすいません、一本、もらえますか」
「あぁいいですよ」

…………………………………………

火もつけてあげて、ふたりで一服・・・喫煙スペースで、よく見かける「あたりまえの光景」。
ここに会話が存在していなくとも、スモーカーというだけでふたりは仲間意識を持っている。たとえ初対面だとしても「煙草もらえますか」というヒトコトを発せられる勇気さえあれば、それだけで仲良く出来るもの。

そういうひとが居ても不思議とは思わないけれど・・・
煙草一本なんて、10円とちょっと。そのほとんどが税金であることは分かっていても、その一本を譲らないというスモーカーは、ほとんど居ない。ケースのなかの「最後の一本」であれば、話は別だけれど。

さて。
煙草が一箱1000円になったとしても、スモーカー同士で(これまでのような)会話が成り立ち、豊かな関係性を築いていけるだろうか。
そう遠い未来の話とは思えない、意外とリアリティのある過程話である―というのは、すべてのスモーカーの認識であろう。(ちなみに自分は、いくらになっても吸い続けます。わはは)

一箱1000円ということは、一本50円。
一本10円では「ください」といえても、50円となると「それは、ちょっと・・・」と考えるひとは居るだろう。いうほうもそうだが、あげるほうもそう。折角あげたのに半分くらいしか吸わないのを見ると―実際に、最初の数センチが美味いといって、半分以上は吸わないひとが居る―コノヤローと思うことだろうし。

別に格好つけるわけでもないが。
自分、持っている煙草が最後の一本だとしても、ひとにあげてしまうタイプ。
割り勘だとかいって細かく計算している場も嫌いで、だったら自分が端数を全部出しますよと。
先日もピザ代のお釣りを、先月は新聞代のお釣りを「いいですよ」といって受け取らず、自己満足で気持ちよくなっていた。
かと思えば、コンビニでの釣り銭間違いは、気づかれぬ前に去ってやれと万引き犯のような動きを見せたり。

見栄っ張りでありつつ・・・
せこいわけではないが、意地汚いところがあるのかもしれない。

まぁ食い意地も張ってるし、顔も汚いし風呂入ったばかりでも身体は汚いし、その程度の男である。
その程度の男が、前の前の前あたりのバイト先で、驚いたこと。

夏や正月の帰省では、大抵のひとがお土産を買ってくるもので。
この「お土産の常識」は日本特有のものらしいが、関西出身のAさんはそのお土産を買い忘れてしまって。
まぁそういうこともあるだろう、けれどもバイトのリーダーであるBさんは、それが許せなかったらしくて。自分が買ってきたお土産をAさんにだけは渡さなかったし、買ってこなかったことをいつまでもグチグチいっていたのであった。

仕事の指示も、少しキツクなったような気がする。

ちいせぇ男だなぁ。

でも。コンビニの釣り銭間違いは、素直に店員さんに告白する男なんだな。

Bと自分―つまり、どっちもどっちということか。

2008年09月29日

♪ 写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない

写真は撮るほうも撮られるほうも好きだが、
まぁセンスはあるほうではないので、大人数で撮影する際に「あ、自分撮るよ」とはいわない。あとでブーブーいわれるのも嫌なので、撮られるほう専門で居ようと。
真ん中ではなく、かといって映るか映らないか分からない隅のほうでもない「ちょうどいいところ」で、妙なポーズを取って写真に収まる。

なぜかピースサインを恥ずかしがるようなところがあって、右手の親指を立てた「グー」ポーズを取っていた・・・のが、20代前半まで。
なにかといえば「パシャリ」というデジカメ時代が到来した現代―では、常にファイティングポーズを取るようになった。

だからトップページは、こんな感じ。
http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland13/mackyphoto780.jpg

いつもこんな格好で、シャッターが押されるのを待っている。
格闘技が好きな男子とのツーショットになると・・・
自然とファイティングポーズを取り合い、なんとなく(対戦前日の)計量中のヒトコマのような写真になる。
面白いのが、軽く拳を合わせるだけのこの撮影で、相手がどれだけの力を持っているのかが分かってしまうこと。
キスをしただけで、セックスの技量が分かるのに似ているかもしれない。
「出来る」ということを巧く演じてみせても、メッキは剥がれてしまう。見破られたときの恥ずかしさといったらないので、背伸びは禁物・・・とは分かっていても、ひとは自身を大きく見せようとする。あぁ人間って愚かで可愛いな、、、と、なぜか上から目線。

それはともかく。
先日―CS放送『ニュースバード』スタッフ主任を務める友人の女性が帰郷することになり、お別れ会を開いた。

企画は自分だったが、参加者はほとんど知らないひとばかり。主役ではないし知らないひと(ほとんど年下、みな20代だ)も多いし、ヘラヘラ笑いつつおとなしく呑んでいようかと思ったが、髭坊主な自分は、ただそこに座っているだけで目立つ。「あのひと、だれ?」的な視線を多く浴びたため、なんとなく声をかけてみる。
すると、14〜5人のメンバーのなかで、夫婦が3組も存在していることが分かった。年下であることをいいことに「結婚してもう5年? じゃあ倦怠期だね。旦那さん浮気しそうだから気をつけて」「苦労しそうな顔だよね、3年後ヤバイかもしれない」とか、初対面なのにジャブのつもりで当たり障りのあることをズケズケといってやった。楽しんでいるのは、自分だけだったかもしれない。
途中で仲良しの女子が合流してくれたので、ここからはラクチン。まるで口説くかのように、彼女とばかり話していた。(キレイになっていたので、本気で口説きそうになったが)

ところで。
乾杯が終わってお別れ会がスタートした直後―「早速ですが、1枚」と、集合写真が撮られた。
その写真がいつの間にか引き伸ばされ、タンブラー? のようなものに貼りつけられて主役への贈り物となる・・・さすが現代っ子だなぁ、感心感心。

最後の挨拶で完全に浮きまくってすべりまくった自分・・・主役Mちゃん、ごめんなさいね。
でもまぁ、素敵なタンブラーに貼りつけられた集合写真では、空気を読んでファイティングポーズ取らなかったから。

自分に毒を吐かれた参加者の皆さん、ごめんなさいね。
でもまぁ、主役が明確な呑み会では、主役さえ楽しんでくれればオッケーだし。

え?
お前がいちばん楽しそうだったって?

ま、外れてはいないけれどさ。


実は振られる15分前に撮られた写真(6年前)
http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland2/mackyphoto4.JPG

「警視庁24時」を真似た写真(やはり6年前)
http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland5/mackyphoto201.jpg


♪ 写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない・・・・・椎名林檎『ギブス』より

http://jp.youtube.com/watch?v=I7DQhA-PcYY

(Youtube)

2008年09月28日

リッチの象徴は、バスローブ

―あるいは、安いイメージで悪かったな。どうせ市井の民だよ。

給料が入ったので、いろいろ買い物をしてきた。その8割が日用消耗品で、残るものはほとんどないが・・・
夏は終わり、町田の冬は冷えるからさすがにスパッツでは眠れん、、、ということで、パジャマくらいは買って、とりあえず一般人の“ふり”でもしておこうかと。

ほんとうは肌触りの素晴らしいシルクのパジャマでもほしいものだが、ある程度の値段はするし、らしくないと思って。
いろんなものを見て、敢えて、囚人服のような悪趣味パジャマを選んだ。画像は間に合わなかったが、あとで載せるのでおおいに笑ってほしい。

その店には、バスローブも販売されていて。

平屋以上の住まい、葉巻、そしてバスローブ・・・よく分からない、この“みっつのアイテム”こそ、自分にとってのリッチの象徴。

なぜって?
きっとテレビや映画で、金持ちの小道具として多用されている(既に過去形か)からだろう。

欲しかったが、買うのはやめておいた。これも、らしくないから。お前のような短小野郎には、小学生が水着に着替えるときに巻く、タオルのスカートみたいなやつで充分だ。

さてバスローブといえば、映画『天国と地獄』(63)の三船敏郎だ。
一瞬、小林旭とか梅宮辰夫が浮かんだけれど・・・なぜだろう、あっ、昔、泡の出る風呂のCMに出ていたからか。(いや、旭さんは出ていなかったかな)

しかし、やはりバスローブのいちばん似合う俳優は三船だ。
『天国と地獄』でバスローブを着るのは、シャワーを浴びているときに誘拐犯から電話がかかってきて、急いで居間に駆け込んできたシーンの1回のみ。それでも鮮烈な印象を残した。葉巻こそ持たなかったが、豪邸に住んでいるわけだし、バスローブはやはり、リッチの象徴なのだ。

どうだろう、現代の若い俳優でバスローブの似合うひとは居るか―そう、居ないのが問題。居るとしても大抵がAV男優というのが、現代日本の性質? を提示しているようで、それはそれで面白いけれども。

…………………………………………

余談@
名優ポール・ニューマン、死去。
享年83歳。
様々な傑作で名演しているけれど、個人的には『ノーバディーズ・フール』(94)のような佳作が好き。
合掌。

余談A
昨日、韓国で開催された『K−1 WORLD・GP FINAL16』。
好試合が多く、特に感動的だったのが、メインマッチの「セーム・シュルトVSピーター・アーツ」。
絶対王者シュルトを食い止めるため、アーツのセコンド周辺にライバルであるはずのバンナやボンヤスキーが応援に駆けつけた!
いやぁ、涙が出ました。
おめでとうアーツ、あんた男だよっ!

余談B
本日、これより『戦極 第五陣』取材のため、国立代々木競技場第一体育館に向かいます。
毎日のように、男の裸を見ている自分・・・もちろん女の裸も見たいが、格闘技ウィークの今週は、THE男を極めよう、そうしよう。

2008年09月27日

「土曜の午後はキッスで始まる」―映画小僧誕生秘話その171―

【映画比較学:〜映画そのものを観ていない方にも、楽しく読んでいただけるように心がけました〜】

L≪『映画館の入場料』(3) 1800円は高いのか レンタル料金は300円前後だ≫

「欽ちゃんのシネマジャック」の「欽ちゃん」とは、もちろん萩本欽一さんのこと。
嫌われることの少ない国民的コメディアンであり、最近では「欽ちゃん球団」を成功させています。

しかし映画の世界では、欽ちゃん的発想は成功しなかった。
93年―「15分の映画」を「5本立て」で公開、「1本につき300円」「鑑賞する本数分だけ自己申告で払う(300円×本数)」というシステムで、まさに映画界を“ジャック”するつもりだったのだけれども・・・。

こういう発想―当たり前だと思っている、通常の興行スタイルに風穴を開けようとする―は、高く買えると思うのです。
けれどもお客さんの反応は悪く、試みは失敗に終わります。

ジャッキー・チェンや急死したばかりの市川準による監督作もあったけれど、話題になったのは「制作前」であり、「公開後」まで興味を持続させる映画ファンはほとんど居ませんでした。

安い入場料なのに、なぜ?
ひとつ目の理由・・・「欽ちゃん」は「お茶の間=テレビ」のイメージが強過ぎて、映画への期待値が低かったこと。
「そんなこと!」と思うかもしれませんが、これはけっこう重要で、それは「北野武」がまだ「ビートたけし」のイメージが強かったころ、彼の監督する映画が不入りになっていた現象が証明しています。
ふたつ目の理由・・・ややこしいシステム。
いや、一読しただけで把握出来るシステムではあったけれど、自己申告だとか5本すべて鑑賞すれば結局は1500円になって、あまり割安感がないだとか、スマートな印象を与えられなかった。(それを観るくらいなら)1800円払って休憩なしで2時間ちょっとの映画1本観ますよと、多くの映画ファンは考えたわけです。

映画の日の「半額」、シニア割引、女性サービスデー(一部では、逆に「ナイスガイデー」などの男性サービスデー)、学生団体割引・・・などなど、業界は様々な割引制度を導入して集客アップを目指します。
主人公と同じ格好をしてくれば半額だとか、合言葉をいえば300円割引だとか「変り種」もあるけれど、大事なことは「分かり易い」こと、「まったくややこしくない」こと、
もっといえば「読む前から、文字の並びだけで売りが把握出来る」こと。
「1本300円、自己申告」ではなく「誰でも1000円」という具合に。それで成功したのが、『釣りバカ日誌』シリーズ(88〜/1000円が導入され始めるのは、『イレブン』(2000)から。以降、毎回ではないが「度々」1000円興行を実施している)です。

「松竹」という大メジャーの完璧といえる宣伝力、それから、元々が人気シリーズであったから黒字の予想がつき易かったという“強み”・・・あらゆる点で「見事な戦略」であり、この興行スタイルは大成功をおさめました。

大胆にも、その“真逆”をいったのが、青山真治と仙頭武則(製作)、役所広司×宮崎あおい×宮崎将が出演、サンセントシネマワークスによる『EUREKA ユリイカ』(2000)だったのです。

チケットカウンターには、「入場料、一律2500円」。

行列に並ぶひとびとに、笑顔はありません。
映画の主題が真面目だったというのもあるけれど、「2500円だもんな、しっかと観なければ」という覚悟があったのかもしれません。

深読みし過ぎ?
いえいえ、少なくとも自分は、そうでしたもの。

つづく・・・次回で総括することは無理だな、こりゃ、、、ということで、長〜〜いシリーズになるかも。

2008年09月26日

『ろくでなし』外伝(17)

いじめられっこの自尊心は、外の世界よりも家庭内にこそ強く働く。学校でそんな目に遭っていない、とても楽しい学園生活を送っているという演技―それは家族を想ってのことではない、あくまでも自尊心を守るためのもの。

だから学校を休まない、休めない。
笑顔で「いってきまーす」といい、それでいて学校で殴られ、それでも元気よく「ただいま〜」といわなければならない。あぁ自尊心って厄介だ。

“授業中以外は、可能な限り、教室に居なかった。休み時間―私の居場所は、トイレの個室だった。チャイムと同時に教室に戻り、またチャイムが鳴ると、トイレに駆け込んだ。これが、1学期の間、毎日のように続いた”

まぁいいや、親に知られなければ・・・と、次第に諦念に支配されるようになっていく。
が、塞ぎ込んでいては、いじめを知られてしまう。自分に元気を与えようと、映画に頼る。
かといって、分かり易い娯楽作には魅かれなかった。そういう映画も観るには観るが、真に自分を励ましてくれたのは、いわゆるアンチヒーローの物語である。その過程で、『タクシードライバー』や『キャリー』―偶然にも、両作とも76年の映画。76年ってすごいな、映画史的に革命の起こった年だったのだ―に出会った。街のゴミを殺戮するトラビスに、いじめっこを血祭りにするキャリーに共感し、そして自分を重ねる。映画の効用って、どんな形で表れるか分からないものだなぁ・・・いまは、そんな風に思う。

エスカレートしていくいじめは結局、教師の知られるところとなった。
SとOは2週間の停学処分を受け、その期間中に親とともに謝罪行脚をした。

“「うちの奴が、牧野くんをいじめたみたいで・・・大変、申し訳ございませんでした!!」 10個のショートケーキと、坊主になったいじめっこ、その父親―小さな玄関に、非日常が紛れ込む”

“粉々に砕かれていく、自尊心。 その日は日曜日だったが、たまたま父親が出かけていて、私の自尊心は、「ほんの少しだけ」保たれた。 しかし。私の背後には、母と姉が居る・・・もうそれだけで、充分だった”

“家族にだけは、知られたくなかった。元気な「行ってきます」「ただいま」を、演技と見破られたくなかった。こんな目に遭うのだったら、まだ殴られ続けた方がマシだったんじゃないか―そうまで思った”

めまい・・・いや、吐き気さえする光景。トラビスが現れて、こいつらを殺してくれないか。
だが当然、トラビスは現れず、キャリーが超能力で援護をしてくれるわけもなく、自分は・・・

“父親には恨みがないからか。背後に家族が居たからか。「なぜか」作り笑いを浮かべて、謝罪を受け入れたのだ。それが、精一杯の強がりだったのかもしれない”

“翌日―平穏な日常が戻った。確かに、居心地は良かった。休み時間に、教室に「居続けられる」ことの幸福を思った。2週間後―彼らは、戻ってきた”

“Sは、誰に向けるでもなく、「さあて、またやろうか!?」と、吠えた。 怒りは感じない。彼なりのハッタリであることは、誰の目にも明らかだった。馬鹿な奴だとは思ったが、もし言葉のとおりになっても、私は動じなかったろう。私には、明確な目標が出来たのだ”

“「絶対に、痩せてやる」”

皮肉だなぁと思う。
いじめが、彼らが、結果的に“背中を押してくれる、「何か」”になってしまったのだから。

こうして自分の減量が、本格的にスタートした。

次週につづく。

2008年09月25日

『ろくでなし』外伝(16)

映画に救いを求め、実際に助けられたことは事実だけれども、まだ映画とともに生きようと決心したわけでもない、13〜15歳のころ。

それほど悲惨だったのか―と問われれば、実はそうでもない。ただ、外の世界を知るには限界がある年頃だから、あたまもこころも「内へ、内へ」と向かっていたのだろう。

東京に行けば、どうにかなるかもしれない・・・という無根拠な根拠が芽生えだしていたが、当面の問題は日常。この日常をクリアし、とにかく高校を卒業しなければ、と。別に中卒でもいいじゃん、という考えは浮かびさえしなかった。高校までは出ておくべき、というのが常識だと思っていた。

“給食以外、楽しみはひとつもなかった。卒業が、待ち遠しかった。早く高校に上がりたかった。私の過去を全く知らない人間に囲まれて、学園生活を送りたかった”

“だが。嘘と窃盗は隠せても、肥満は隠せないではないか。この時に初めて、減量という言葉が頭に浮かんだ。浮かんだことは確かだが、それはただ、浮かんだだけだった”

“何かが足りなかった。背中を押してくれる、「何か」が―”

考えてみれば・・・いや考えるまでもなく、嘘窃盗肥満という「みっつの負」は自分のおこないが招いた結果。だから被害者意識は抱かなかったが、積極的に改善しようという気もなかなか起こせなかった。

母と共犯関係を築き、父や姉に隠れて美味しいものを馬鹿喰いする日々。

“昭和から平成に変わったその年に、私は高校生となった。入学した途端に、私を含めた6人の同級生は、執拗ないじめに遭うこととなる”

“SとOは、なぜ私たちを選んだのか。「弱そう」だったからだろう。「従順そう」に見えたからだろう。「異質の存在」だったからだろう。確かに6人はそれぞれ、人と違っていた。 ある者は、やせっぽち。ある者は、小学生のようなチビ。ある者は、極端なデブ。ある者は、絵に描いたような秀才”

いじめを語る自分は、常に「うらみ節」だ。ユーモアを入れてみたい気もあるが、入り込む隙がない。
これはしょうがないのかな、と思う。
『バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト』(92)という映画では、レイプ犯を赦す被害者(尼僧)が描かれる。傑作であることを認めつつ、共感は出来なかった。現に映画もそこを正義の回答とせず、そんな尼僧を理解出来ない刑事を主人公としている―そこが、この映画のよいところ。

“いじめられっこの精神構造は、とても複雑で、難しい。自尊心が邪魔をして、「いじめられている事実」を、なかなか認めようとはしないのだ。だから私のように、「いじめられる仲間」が多数存在していても、連帯意識を持てない。「持ってたまるか」―この意識こそ、自尊心の表れだ”

“社会はよく、「傍観者も共犯だ」という。だが、正義感の強い者を鬱陶しく感じる場合も多い。強き者が、弱き者を助ける―美しい光景だが、弱き者は、感謝の気持ちを抱くとは限らない”

“例えばそこに、「多くの視線」が存在していたとする。いじめられる現場にも助けられる現場にも「多くの視線」が存在していて、それらによって、自分の惨めさを改めて痛感する―この時、いじめられっこは、心のどこかでは感謝しているはずなのに、「余計なことして・・・」といいたげな表情を浮かべる”

“いじめが、なかなか表面化しないのは、いじめっこの策略によるものではない。私は、僕は、いじめられっこじゃない―本人の自尊心が強ければ強いほど、いじめは表面化しないのだ”

語っているなぁ、自分。
この章をリライトするとして―時間を経過した現在でさえ、ほとんど変わらない文章が出来上がると思う。
「映画とは」「格闘技とは」「自慰とは」という主題に対して未だ結論を導き出せていない自分だけれども、この主題に関してだけは、既に、随分前から「それが答えだ」という結論を導き出しているから。

つづく。

2008年09月24日

『Sympathy for the Devil 悪魔を憐れむ歌』

事件をあるく ロマン・ポランスキーと、シャロン・テート事件(4)

殺人鬼マンソン、被害者テート、遺族ポランスキー・・・「みっつ」の点が「ひとつ」になるまでの物語とは、どんなものだったか―。

26歳の若さで亡くなってしまったシャロン・テートの、女優としての才能をどう評価するのか・・・いや出来るのか。
死者に敬意を表しても、天性の演技力があったとはいえない。その美貌にこころ奪われたとしても、テートの演技が目を見張るものだったと結ぶことは出来ない。

現に代表作と呼べるものは、ポランスキーが監督・主演した『吸血鬼』(67)のみで、
デビュー作『卑怯者の勲章』(64)や『サンタモニカの週末』(67)、『哀愁の花びら』(67)などはいずれも日本で鑑賞可能であるが、特にどうこう評すことの出来る演技をしていないし、作品自体も光を放つものではない。

敢えてこういう論じかたをしてみよう。
ポランスキーの女の趣味は、けっこう分かり易いように思う。
ブロンド美女が好きというのはヒッチコックを想起させるが、現在の妻は女優のエマニュエル・セニエで、テートと似ていなくもないと捉える筆者は別に悪趣味ではなかろう。

http://www.zeberka.pl/img/z/679a.jpg

77年に起こった13歳の少女をレイプした事件―世間がポランスキーに対して寛容であったのは、前述したように前妻を殺害された過去を持つ・・・からだけでなく、この少女も同意していたのではないか―と考えられていたから。
ただ世間がそう捉えても、法律は絶対。ヨーロッパを拠点とするようになったポランスキーは、「逃亡罪」にも問われることになってしまう。

(この際、その宗教的背景を無視して)元来がセックスのあらゆる事象に対して寛容な国民性なのでは―と、アメリカを結論づけたとしたら、暴論になるだろうか。
だが元大統領クリントンは現職中に「妻でない女とオーラルセックスしました。ごめんなさい」と告白し、任期を終えるまで大統領であり続けた。
これが例えば、麻生首相であったとしたら・・・?
だみ声のオーラルセックス野郎と罵られ、僅か1日で辞任となるだろう。
俳優マイケル・ダグラス、デヴィッド・ドゥカヴニーは「セックス中毒」であることが報じられたが、日本の俳優がそう診断されたとしたら、その後はセックスにまつわるキャラクターしか演じられないに違いない。だがアメリカは違う。刑事だって演じられるし、裸にはならずキスだけで済ますことが出来る。

現在75歳、映画監督のキャリアがA級―『水の中のナイフ』(62)、『反撥』(64)、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、『チャイナタウン』(74)、『フランティック』(88)、『赤い航路』(92)、『死と処女』(95)―であることに異論を唱えるものは居ない。評価は『戦場のピアニスト』(2002)で極まった感があるが、映画ファンが推すのは『チャイナタウン』だろう。

だが、しかし。
ホラーにしろサスペンスにしろミステリーにしろ、それらジャンル映画の持つ形式を踏襲していたとしても、ポランスキーの映画には独特な肌触りがある。
それを監督の個性と捉えても決しては間違いではない。いやむしろ、そう捉えるほうが健全で正しい。
けれどもポランスキーを知れば知るほど、そういう観点だけでは捉えられなくなってくる。

我々ファンは、どうしても、チャールズ・マンソンの存在を、ポランスキー映画の“影”と「捉えたがる傾向」にあるのだ。

死刑にはされず、現在も獄中で生きるマンソン。
ポランスキーの映画を支配する“影”は、
マンソンの呪縛か、あるいはポランスキーの背負った性なのだろうか。

つづく。

…………………………………………

昨日の『DREAM.6』については、トップページの短評が自分の率直な感想です。
なんというか、いろいろあって豪華だけれども、まとまりに欠け、素直に楽しめなかった。

大晦日に向けての伏線が盛り沢山だったけれども・・・
いやいや、「まず」この大会を成功させなければ―そういう切迫感が必要だったのでは?

2008年09月23日

好きな映画を3作挙げれば「ひととなり」が分かるというのは・・・たぶん事実です。

自称・映画小僧で通している自分だけれども、
もちろん、映画のすべてに精通しているわけじゃない。そこを目指してはいるけれど、得意分野(60〜70年代のアメリカ映画、80〜90年代の日本映画)があれば、苦手分野もある。
ジャンルでいえば、それはロマンチック・コメディになり、
パートでいえば、俳優や監督、カメラワークやサウンドトラックにはうるさいけれど、衣装などには疎い。

世界各国で続々と産声をあげている映画たちの「すべて」に触れることは現実的に無理だし、単に消化するだけならば手当たり次第に観ていけばいいが、自身の血や肉へと昇華させるためには、イイカゲンな鑑賞は出来ない・・・そんなときに役立つ存在であってほしいのが、映画批評の世界―であると思うのだが、
先日、CNNが「アジア映画のオールタイムベスト」(暫定的)を選定した。

18作中、14作を観ている自分の率直な感想は・・・
なかなかいいチョイスだとは思うけれど、あれあれ、
ここには『枯嶺街少年殺人事件』(91)も『ゆきゆきて、神軍』(87)も入っていない。先日、自分が取り上げた『EUREKA ユリイカ』(2000)も無視されているし『家族ゲーム』(83)さえない。
イーモウは居るが、カイコーが居ない。パク・チャヌク、塚本晋也のような野心家も含まれず。

新鮮だから、この結果に不満を示すわけではないけれども。
ただ、選出者がどの程度、アジア映画に精通しているのかが気になるところ。「たまたま」観たのがアジア産だったのか、あるいは意識的にアジア産に触れたのか―この差は大きく、そして重要なことだと思う。


『花様年華』(2000)
『Mother India』(57)
『グエムル 漢江の怪物』(2006)
『Syndromes and a Century』(2006)
『クジラの島の少女』(2002)
『長江哀歌』(2006)
『こころの湯』(1999)
『Shall We ダンス?』(96)
『楢山節考』(57)
『インファナル・アフェア』(2002)
『曼陀羅』(81)
『活きる』(94)
『When the Tenth Month Comes』(84)
『Himala』(82)
『侠女』(71)
『生きる』(52)
『UTU/復讐』(83)
『ギャベ』(96)


理想的というか、自分ならばこうするのに・・・というのは、もちろんある。
アクションのジャンルを正当に評価すべく、ジャッキー・チェンの映画は絶対に入れるべき。
ジャッキー⇒ジョン・ウー⇒という流れがあって、『インファナル・アフェア』に繋がるわけだし。
黒澤は『七人の侍』(54)や『生きる』では有名過ぎるから、『悪い奴ほどよく眠る』(60)あたりをチョイスしたほうが面白いと思う。
周防さんの監督としての巧さは、『Shall We ダンス?』より『シコふんじゃった』(92)を観たほうが分かり易い。

ま、そんなことをいい出したら、50作くらいは選出しないと収まらないのだけれどもね。


『七人の侍』・・・現代的な、あまりに現代的な海外予告編


http://jp.youtube.com/watch?v=l8NBT8RlorU&feature=related


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―秋山選手に勝てますか?

勝つと思いますよ僕は、正直。本当にひどいことをいうと、日本の格闘技というものが好きで、真剣に格闘家として格闘技を追求してきた青木真也と、お茶を濁してる選手との差は出ると思います。人がどうこうというのではなくて、僕自身がそれだけのことをやっているという自負がありますから。

うーむ、格好いいぞ、青木真也。

ということで。
現在、自分は「さいたまスーパーアリーナ」に居ます。
総合格闘技イベント『DREAM.6』です。

もちろん試合はしないけれど、ヒョードルも来るらしい。
12試合もあるし、ひょっとしたらホイス・グレイシーもシウバも来るかもしれないというし、なんだか大晦日みたいだなー。嬉しいけれど、間違いなく終電がなくなるのであった。

久し振りに、強いミルコを観ることが出来そうな気がする。(あ、意図せず韻をふむと恥ずかしいね)

この試合のミルコは恐ろしいほど強かったが―もういちど、こんなミルコが観たい。

ミルコVSヴァンダレイ・・・ふたりとも好きなファンは多いだろう。だからこの結末には、なんともいえない感情を抱いたはず。

http://jp.youtube.com/watch?v=Fzp-XgCs4pk&feature=related


(動画はすべて、Youtubeより)

2008年09月22日

飛び跳ねる女子中学生は将来、薄幸の美女になる・・・かもしれない。

空き部屋になっていた隣室に―薄幸の美女が入居してきて、

「すいません、パソコンの接続が分からないんですが、見てもらえませんか」

と尋ねてくる・・・という、ベタ過ぎて失笑されてしまうであろう夢を見た。起きたら軽く勃起していたのもまた、かなり恥ずかしい。

夢を見た人間の決まり文句「なぁーんだ、夢か」と呟きながら、本気でガッカリしていた、、、らば、なんと、ちょうど夢を見ている時間帯(AM11時〜PM3時前後)に、隣室がほんとうに空き部屋でなくなっていた。

なにこれ、予知夢? とはいわないか、たぶんあれだ、微かに聞こえていたであろう引越し業者の足音などが心地好いサウンドトラックとなって、睡眠中の自分の脳内に侵入、軽い刺激を受けた脳はそれを映像化し、夢が作られた・・・と。
それが事実かどうかは関係ない、とりあえずそう解釈しないと、ちょっと怖いじゃないか。

といっても、引っ越してきたのは薄幸の美女ではなく、夫婦と中学生の娘。この娘がピョンピョン飛び跳ねるような元気で可愛いギャルで、こっちもパワーをもらえそうだ。
住所公表しているバカチンだから、あまり詳しく記すと彼らに迷惑がかかるだろう、このへんにしておこうか。

ともあれ。
新聞を抜くためにドアを開ける際も、これからは全裸ではいけないということだ。トレーニングの最中だからといって、来訪者を上半身裸で迎えるというのも避けたほうがいいかもしれない。
映画や格闘技番組を観る際の音量にも気をつけねばなるまい。3階くらいまで降りて音量を確認することはしているが、その判断は自分の耳・・・脳味噌は信用しているが、口や耳、それから生殖器は信用していないんだな。
特に格闘技の一本勝ちやKOシーンでは、どう自分を抑えても雄叫びが出てしまう・・・くそぉ、これは引越しの挨拶に来てくれたときに、「たまに雄叫びが聞こえます」と忠告しておくべきだったかもしれない。
いやそんなことより、アダルトビデオ鑑賞時が問題だ。ヘッドフォンはしない主義、喘ぎ声が部屋全体に行き渡ってこそ、男子である幸福を感じられるというものだ・・・さあて、どうしよう。

無国籍風の前アパートでは、多くの住人さんと良好な関係を築いてきた。インドや中国の留学生と最も仲良くしていた日本人の住人は、間違いなく自分だった―と、自信を持っていえる。
だってインドの住人さんなんか、引越し直前の自分に、

「マッキ〜、イナクナルトサミシイヨ」

なんて話しかけてくるくらいだったものね。

あれからもう、2年が経とうとしている。
ちょうど2年前のこの時期に、大家さんから「ここ、たぶん、取り壊されるから」と耳打ちされたのだった。

先が見えなかった時期だなぁ。
まぁ現在だって、先が見えているわけじゃないけれど。
ただ夢のなかでは冴えているようで。信用している我が脳味噌くんはさすがだ、隣室が埋まったことを夢で知らせてくれるなんて。

というわけで? 2009年度のカレンダーは、散々悩んだ挙句、結局は薄幸の美女・秋山莉奈に決定したのであった。

なんだこの、魅惑的に過ぎるhipは。

http://ec2.images-amazon.com/images/I/41QnmKj9oUL._SS500_.jpg

2008年09月21日

「あいだ」に居よう、「あいだ」で行こう―市川準という生きかた

好きなのか嫌いなのかと問われれば、
少し時間をかけて「“やや”好き」と答える。
熱心なファンではなかったが、監督処女作『BU・SU』(87)以外はすべて、劇場で鑑賞しているのだった。

映画祭会場で「出待ち」をしたこともあった。公式パンフレットにサインをしてもらいながら、
「小津さんとか相米さんとか、好きなのですか。意識していますか」と尋ねると、
「もちろん好きです。いえ、嫌いな監督さんなんて居ませんよ。みんな、尊敬しています」という答えが返ってきた。
いかにも優等生の言葉だが、らしいといえば、らしい。常に「あいだ」を狙った市川準という映像作家は、真の意味で「ひとがいい」のであった。

…………………………………………

「あいだ」を狙った―というのは、あくまでも自分の推測であり、本人の言葉ではない。けれどもこの推測を、自分は確信を持って市川準の作家性だと捉えている。

「あいだ」とは、なにか。
自分のこころの師のひとりである荒井晴彦はかつて、「あいだの映画」の必要性を熱く語った。若者に媚びる映画と中年が暇つぶしのためだけに観る映画との「あいだ」。そんな映画がきっと待たれている、だから俺は「あいだの映画」を目指すと。

市川準は、その人柄も作風も穏やかだった。自分が小津の名前を出したのは、カメラを動かすことが少ないスタイルだけでなく、波風立つ物語でさえ微風の語りで展開させたところに類似性をみたから。

牧瀬里穂という逸材を得て、吉本ばなな的世界を映像に置き換えた『つぐみ』(90)。
兄(緒形直人)が最後に放つ一言のために、それまでの台詞を極力削ぎ落とした名作『東京兄妹』(95)。
昭和の伝説を普遍の青春劇として描いた『トキワ荘の青春』(96)は、「(存命中の)作家たちに、遠慮しいしい」などと「その甘さ」を指摘する向きもあったが、これは一種のファンタジーだと思った。
池脇千鶴の関西弁が可愛い『大阪物語』(99)は、沢田研二と田中裕子の自然な演技がとてもよかった。
期限つき恋愛を楽しもうとする林真理子(原作)の『東京マリーゴールド』(2001)は、現時点における田中麗奈の最高作であろう。

近作『あしたの私のつくり方』(2007)もそうだが、「原作ありき」が多いということと、ほとんどの作品で少女を主人公としているのが特徴的。
たまに、冒険も試みた。『病院で死ぬということ』(93)は成功したが、
『たどんとちくわ』(98)は失敗し、ほとんど黙殺された。本人も騒がしいものは相応しくないと思ったのか、それ以降は冒険をすることをしなかった。ちなみに騒がしい映画を歓迎する傾向にある自分でさえ、『たどんとちくわ』には幻滅してしまった。

都会を「都会だよ」と強調することなく提示することが出来るのは、本人が東京生まれだからだろう。同じ東京生まれの塚本晋也が過剰なほどに都会を強調しているのと、好対照をなしている。
CM畑のひとだった。CMやミュージック・クリップを経て映画を撮る作家の流行は90年代に入って以降であり、そういう意味では先がけ的な存在だった。
だが有名な『タンスにゴン』や『禁煙パイポ』のインパクトに比べると、市川準の映画は同じひとが撮ったとは思えないほど、おとなしいものだった。ほとんどのCM出身監督がその華麗なテクニックを映画に持ち込んだのと違い、市川準は敢えてそれを封印していたふしがある。

ほんとうにやりたかったことをやった結果―と解釈することも出来るが、いやそうではないだろう。15秒(あるいは30秒)のCMと平均120分の映画で、同じことをやってどうする。電源を入れれば「そこにある」CMと「そこに行かなければ触れられない」映画で、同じことをやってどうする・・・そんな意識があったのかもしれない。

CMでは「あいだ」ではなく、ポピュラーなものを目指した。だが映画では、ポピュラーである必要がなかった。だから「あいだ」を狙った、「あいだの映画」が少ないから「あいだ」を撮り続けた―CM監督・市川準と映画監督・市川準、どちらが好みかと問われれば躊躇なく後者と答えられる。

若過ぎた、59歳の急死―もっと「あいだ」の映画が、観たかった。
あたしを「あいだ」の映画に起用してほしかったのに―そう想う未来の女優さんは、きっと多いことだろう。


この映像世界こそ、市川準そのもの。

http://jp.youtube.com/watch?v=FGz-cT4eHUs

(Youtubeより)

ようこそ、爽やかな殴り合いへ

本日14時より、TBS系列で『K-1甲子園』のドキュメントが放送されます。

http://www.tbs.co.jp/k-1/topics.html#topic01

10年後―このイベントが本家に負けぬ人気を誇っていればいいね。

ついでに、『DREAM.6』のトトカルチョをリンクしておこう。
予想するの、面白いよ。

http://dreamofficial.com/cgi-bin/free/totocalcio/index.cgi

2008年09月20日

「土曜の午後はキッスで始まる」―映画小僧誕生秘話その170―

【映画比較学:〜映画そのものを観ていない方にも、楽しく読んでいただけるように心がけました〜】

L≪『映画館の入場料』(2) 1800円は高いのか レンタル料金は300円前後だ≫

いまや国民的女優となった宮崎あおいが実兄の宮崎将と共演した映画に、『EUREKA ユリイカ』(2000)という傑作、、、いや「大」を6つくらいつけたい大傑作があります。

監督は青山真治、上映時間は破格の217分、クロマティックB&Wという特殊スタイルで撮影された「ほぼモノクローム」の作品。
「EUREKA」とは「発見」という意味であり、このタイトルに恥じぬ「壮絶なる再生の物語」が紡がれていきます。

カンヌでは国際批評家連盟賞とエキュメニック賞のダブル受賞を果たしたこの映画は、その評価に反して興行面では苦戦しました。

なぜか?

入場料が、一般映画よりも高額だったのです。

2500円。
確かに高額・・・しかし本作を観たほとんどのひとは、この入場料に文句をいわなかった。もっと払っていいというひとまで居ました。
自分もそんなひとり(実は3回観に行った・・・ということは、この映画に7500円を払っている)ですが、
まぁ前情報で2500円であることを理解したうえで劇場に向かうわけですから、文句をいうひとが少ないのは当然でしょう。これがチケットカウンターに並んでいたときに知らされたとなると、話も違ってきますが。

そもそも、なぜ2500円だったのか。なぜ一般映画より、700円も高かったのか。

現実的な問題点としてまず、「回転率」がありました。
217分の映画では、頑張っても1日3回しか上映出来ない。(実際は1日2回上映でした)
90分の映画であれば、1日6〜8回上映も可能。この差が大きかった。つまり通常料金では採算が取れないから、この料金にしたと。(しかし皮肉なことに「長くて」「高い」映画というイメージがついてしまい、かえって客足が遠退いた・・・と見る業界人は多いです)

けれども実は、もうひとつの理由こそが重要で―それは、青山真治という映画監督の「哲学」にありました。

この映画や青山真治の名を知らなくとも、映画とテレビで人気を博した『私立探偵 濱マイク』を知っているひとは多いでしょう。
主演は永瀬正敏。映画シリーズから始まってテレビシリーズが創られた「通常とは逆」の制作パターンもユニークですが、
このテレビ版、1話ごとにディレクターが交代していったことでも知られています。そのほとんどが「映画」で活躍する中堅で、行定勲・岩松了・石井聰亙・中島哲也、そして伝説的な映画作家アレックス・コックスも演出を担当。(ちなみに制作陣の気合の入りかたに反して、熱心な映画ファンだけが歓喜・・・つまり最初から最後まで、低視聴率に終わったといわれています。自分もいろんなひとに薦めたけれど、反応はイマイチだったものなぁ)

青山真治はその第6話『名前のない森』(ゲスト出演に鈴木京香、大塚寧々、原田芳雄など)を担当・・・テレビドラマとしては異例の、ベルリン映画祭出品を果たしています。

「横浜黄金町」に実在した映画館「横浜日劇」を基本的な舞台とするこのシリーズ、しかし青山バージョンだけは、山梨を舞台としていました。

当時のインタビューで、青山真治は「自分のは、第一話か最終話にこそ相応しい。人気投票を実施しても一番になる自信があるので、ドラマだからといって横並びにする必要はない」という趣旨の発言をしています。
天狗め、というひとがあるかもしれない。けれども『名前のない森』は、やはり傑作で。中堅のなかでは頭ひとつ抜きん出ているという自覚があったからこその発言であり、その意識が『EUREKA ユリイカ』にもあった。2500円分のものを提供しましょうと、自信を持っていえたわけです。

この映画について考察する際に、比較対象として最も適切だと思われる映画シリーズが、
入場料一本につき300円を謳った『欽ちゃんのシネマジャック』と、一律1000円とした『釣りバカ日誌』でしょう。

次回、このシリーズと『EUREKA ユリイカ』を、強引に比較してみます。


テレビ版『私立探偵 濱マイク』オープニング映像。
主題歌は・・・そう、Ego−Wrappin’による『くちばしにチェリー』でした。

http://jp.youtube.com/watch?v=bXf0EXZnS3E

(Youtubeより)

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余談@ 映画監督・市川準(59)が急死しました。市川崑、水野晴郎に次ぎ、またまた自分が「接触」したことのある映画人の訃報・・・明日、追悼文を載せます。合掌。

余談A 寡作だけれど、常に魂のこもった名画を創り上げる映画監督・橋口亮輔(46)。
最近作はリリー・フランキーが主演する『ぐるりのこと。』(2008)で、先日、監督のインタビューが読売新聞に掲載されました。
その一文を読んで、いつも「なにかについてエラソーに語りたがる」、自意識過剰な自分でも、もうグッときちゃって、なにも語れないなぁと感動してしまいました。

「ヒットしてほしいけど、それが目的になると、作品ににごりのようなものが出てくる気がしてくる。映画だけは汚してはいけない、裏切らず向き合いたいと思う。自分と世の中をつなぐ命綱だからかもしれません」

2008年09月19日

海外女優列伝(208)メグ・ライアン

【Meg Ryan】

61年11月19日生まれ・現在46歳。
アメリカ・コネティカット州出身。

≪画像≫
http://i142.photobucket.com/albums/r97/Uzi_Rider/meg_ryan.jpg
http://www.hair-styles.org/meg-ryan-picture-001.jpg
さて、イメチェン成功するか
http://movie.goo.ne.jp/contents/gallery/MOVCSTD4580/014.jpg

イメージの呪縛、そこからの脱却。
たとえば、えなりかずきくんがDV夫を演じてみたり。彼にはDV(domestic violence=家庭内暴力)よりED(Erectile Dysfunction=勃起障害)が似合うとか、そんなこといってはいけない。
宮崎あおいが阿部定を演じるのも、個人的には「あり」。
バービー人形のようだったニコール・キッドマン(女優列伝157)が本格的女優として認知されたのは、毒気満載の『誘う女』(95)からだし。
人気女優メグ・ライアンさんは、現在、本人のなかでは(あくまでも、本人のなかでは)キャリア構築の迷走中。
「ロマンチック・コメディの女王」として君臨し、そのイメージのあまりの強大さに押し潰されそうになっている・・・少し大袈裟かもしれないけれど、自分にはそう見えます。
まぁ個人的に「ロマコメを楽しめない」人間なので、この壁を突き破ってほしい、不評だったけれどジェーン・カンピオンなどと組んで、もっともっと挑戦を続けてほしいと願っています。
<経歴>
ニューヨーク大学ジャーナリズム科、夜間コースを卒業。
映画俳優デビュー作は、81年の『ベストフレンズ』。
しばらくは作品に恵まれず、アルバイトなどで生計を立てていました。
86年―トム・クルーズ(男優列伝137)主演の大ヒット作『トップガン』で、トムのライバルを演じたヴァル・キルマー(男優列伝158。役名は「アイスマン」で、なぜかトムの役名よりもメジャーとなりました)の恋人を好演し、初めて注目を受けました。
『私立ガードマン/全員無責任』(86)を経た87年―ミクロ化した主人公が他者の体内で大冒険を繰り広げるSFXコメディ『インナースペース』のスマッシュヒットを皮切りに、
ボンネットの上でのラヴシーンが印象に残る『プレシディオの男たち』(88)、サスペンスの佳作『D.O.A.』(88)、そしてメグさんのイメージを決定づける傑作恋愛劇『恋人たちの予感』(89)と「アタリ」が続き、メグさんの時代が到来。
ちょうどこの時期に、『インナースペース』と『D.O.A.』で共演したデニス・クエイド(男優列伝128)と結婚。(2000年の7月に離婚)
ジム・モリソンの半生をトリップ感溢れる映像で描く『ドアーズ』(91)、『キスへのプレリュード』(92)、監督ノーラ・エフロン×共演トム・ハンクス(男優列伝140)の最強トリオによる『めぐり逢えたら』(93)、アル中の主婦を熱演する『男が女を愛する時』(94)・・・という風に、硬軟自在に演じる、、、と評したいけれど、作品の真の評価は別にして、
「やはりメグは、ロマコメだ」
という意見が圧倒的で、それは興行成績としてストレートに表れました。
ただ「それだけじゃない」という本人の意識は高く、
『恋の闇 愛の光』(95)、ケビン・クライン(男優列伝52)共演の『フレンチ・キス』(95)、湾岸戦争を「見え難い現代の戦争」として捉えた力作『戦火の勇気』(96)、娼婦を演じる『キャスティング・ディレクター』(98)・・・と、ロマコメよりもシリアス物を中心にキャリアを構築。
こういう姿勢は好感が持てるし応援したいのですが・・・
たとえばショーン・ペン(男優列伝92)やケビン・スペイシー(男優列伝54)が怪演をみせる『キャスティング・ディレクター』では、少女性を残すアンナ・パキン(女優列伝10)のほうが強烈な印象を残すし、うまくいっているとは思えません。
それが自分の偏見でないことがはっきりしたのが、98年の『ユー・ガット・メール』の大ヒット。
再びエフロン×ハンクスと組んだ「メール恋愛劇」で、確かにこういう役どころがいちばん似合っている気がします。
ま、自分は「つまらねぇ」と感じてしまったけれど。
アメリカ版『ベルリン・天使の詩』(87)というけれど、どう観たって似ても似つかない『シティ・オブ・エンジェル』(98)、離婚の直接的原因と噂されるラッセル・クロウ(男優列伝224)と共演した『プルーフ・オブ・ライフ』(2000)、『ニューヨークの恋人』(2001)。
良質なドキュメンタリー『デブラ・ウィンガーを探して』(2002)、ジェーン・カンピオンの作風とメグさんの演技が「まったく」噛み合わなかった『イン・ザ・カット』(2003)、そして最新作が『ランド・オブ・ウーマン/優しい雨の降る街で』(2007)。

迷走によって、メグさんの映画人生が豊かになりますように・・・。

次回の女優列伝は、メラニー・グリフィスさんからです。

2008年09月18日

海外女優列伝(207)メアリー=ルイーズ・パーカー

【Mary-Louise Parker】

64年8月2日生まれ・現在44歳。
アメリカ・サウスキャロライナ州出身。

≪画像≫
すこしリヴ・タイラーに似ている
http://l.yimg.com/img.tv.yahoo.com/tv/us/img/site/12/89/0000041289_20070710161405.jpg
こういう流行Tシャツを、時代に関係なく着こなせるのは素敵
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/R/Ry0TA/20070605/20070605184345.jpg
http://ayano14.hp.infoseek.co.jp/mary_louise_parker.jpg

生活環境などによって「それぞれの映画の趣味」が出来上がっていくものですが、性別によって好き嫌いも分かれるもの。
しかし「その傾向にある」というだけで、あらゆる男がアクション映画を好きなわけではありません。
それは当たり前のことだけれども、ただ、この映画が嫌いな男子に会ったことがない、女子に会ったことがない―という作品が、それぞれ存在します。
たとえば『ダイ・ハード』(88)が嫌いな男・・・うーむ、存在するのであろうか。
そして、『フライド・グリーン・トマト』(91)が嫌いな女・・・居たら、会いたいくらいです。
女性同士の友情を描いた映画で人気が高いのは、たとえばリリアン・ヘルマンと友人ジュリアの物語『ジュリア』(77)とか『フォエバー・フレンズ』(88)でしょう。『フライド・グリーン・トマト』も間違いなく上位5本には選出される人気作で、一時期の自分は、惚れた子に必ずこのビデオを贈っていました。
主演ふたり、ジェシカ・タンディ(女優列伝79)とキャシー・ベイツ(女優列伝36)ばかり言及されることの多い本作ですが、タンディが話す物語に登場する「ふたりのメアリー」(メアリー・スチュアート・マスターソンと)本日紹介するメアリー=ルイーズ・パーカーさんが居てこそ、この感動作は生まれたのです。

予告編、Youtubeより

http://jp.youtube.com/watch?v=wwYDQG0c-cs

<経歴>
演劇学校を卒業後、舞台からキャリアをスタート。
映画俳優デビュー作は、89年の『サインズ・オブ・ライフ』。
エイズを主題とした映画では最良の一本『ロングタイム・コンパニオン』(90)や『わが街』(91)を経て、前出した『フライド・グリーン・トマト』がスマッシュ・ヒットを飛ばす―はっきりいえば、代表作はこの一本だけなのですが・・・
これだけでもう「並の女優の10年間分」のキャリアを獲得していると断言しておきます。
『最高の恋人』(93)、ウディ・アレン(男優列伝22)が円熟期に到達したことを告げた『ブロードウェイと銃弾』(94)、『依頼人』(94)、これも女性の友情モノとして人気が高い『ボーイズ・オン・ザ・サイド』(95)、ニコール・キッドマン(女優列伝157)の『ある貴婦人の肖像』(96)。
『グッバイ・ラバー』(99)、(「羊」は別格として)レクターのシリーズでは最もよく出来ていると思う『レッド・ドラゴン』(2002)、ブラッド・ピット(男優列伝182)主演の力作にも関らず話題にならなかった『ジェシー・ジェームズの暗殺』(2007)、最新作が『スパイダーウィックの謎』(2008)と、出演作は途切れていませんが、(メアリーさんのキャリアとしては)ややパンチが足りない。
「グリーン・トマトのフライ」はいつまでも抱きしめていたい、大事な大事な作品だけれども・・・
本人的には、第二の代表作に出会いたいと思っていることでしょう。

女優列伝、3連続でいきます。
明日は、メグ・ライアンさんの登場。

2008年09月17日

海外女優列伝(206)メアリー・スティーンバーゲン

【Mary Steenburgen】

53年2月8日生まれ・現在55歳。
アメリカ・アーカンソー州ニューポート出身。

≪画像≫
http://www.myqlu.com/images/celebrity/8ffb68bd-a2b1-4f1a-8f7d-d27fa89bfe58.jpg
http://www.angelcourt.com/upload/image_3663550.jpg

その昔―吉川晃司が主演する映画『テイク・イット・イージー』(86)の予告編がテレビで流れたとき・・・姉と観ていたのですが、
名取裕子さんが吉川くんを誘惑するシーンを観て、姉がヒトコト「このひと、こんな役ばっかり」。
うん、確かにそう思った。
けれどもセクシーなんだからしょうがない。名取さんだけでなく、たとえば高樹沙耶さんとか、少し前の映画を観ると、必ず主演の子を誘惑している。

アングロサクソン女優であれば、若いひとのほとんどはセクシーじゃないか・・・と思われるハリウッド業界で、「なぜ、このひとが・・・」と突っ込まれるほど、いつも主役や脇役とネンゴロになる役を演じる―本日紹介するメアリー・スティーンバーゲンさんは、そんなひと。
でもね、ちょっと分かる。
ものすごい美人というわけではないのだけれども、柔和な表情と日常の生活臭は、そこはかとない色気を感じさせる。床上手なんだろうきっと、と思わせる不思議な魅力がある。
当然、同性からの支持は得られ難い。現に世界的人気を誇る『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ(85〜)の最後で、我らがエメット・ブラウンを誘惑したのは重罪であると、本気で怒っているファンは多いのです。
<経歴>
書店販売員やウェイトレスなど職を転々としながら、ネバーフット・プレイハウスで演技を基礎から学ぶ。
映画俳優デビュー作は、78年の『ゴーイング・サウス』(日本劇場未公開)。
タイムスリップSFとして技ありな『タイム・アフター・タイム』(79)や『ラグタイム』(81)などの佳作に出演するも、オファーが殺到し始めるのは「もう少し歳を取ってから」―このあたりが、メアリーさんの不思議なところです。
『八月の鯨』(87)を経た89年―群像コメディ『バックマン家の人々』がアメリカで大ヒット、皺さえもセクシーに見えるメアリーさんの株が急上昇しました。
西部時代にやってきたブラウン博士と恋に落ちる『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』(90)、『夢の降る街』(91)、エイズを発症させたトム・ハンクス(男優列伝140)と対決する弁護士を演じた『フィラデルフィア』(93)、好演する若手俳優たちに負けじと奮闘する『ギルバート・グレイプ』(93)・・・うーん、大活躍。
『グラスハープ/草の竪琴』(95)、オリバー・ストーンの作品のなかで過小評価されていると思う『ニクソン』(95)、これまた色気ムンムンでみせる『海辺の家』(2001)、もはや誰が出演しているとかどうでもよくなってしまうデヴィッド・リンチの「超」怪作『インランド・エンパイア』(2006)、そして最新作がジョディ・フォスター(女優列伝111)の『ブレイブ ワン』(2007)。

こうなったら、いくつまでセクシーキャラを演じられるのか―そこに挑戦してほしいです。
現在の旦那は、ザッツ・アメリカン! な俳優テッド・ダンソン。ちなみに再婚で、以前の旦那は「あの」マルコム・マクダウェルです。

明日の女優列伝は、メアリー=ルイーズ・パーカーさんです。


『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』予告編

http://jp.youtube.com/watch?v=UQXOx2lYnA4&NR=1

(Youtubeより)

2008年09月16日

俗物図鑑

「―ねぇ牧野くん、写真見せようか?」
「(苦笑)昨日も一昨日も見せてもらったし、もういいっすよ〜」
「いや新作だから。今度のアングルはすごいよ、ほら」
「・・・・・」
「どう?」
「・・・うーん、まぁ、よく撮れているんじゃないですか」
「だろ? この女、俺に惚れてんだよ」

…………………………………………

20代前半のころ―パンの製造工場で働いていた。
大手だから工員はとても多く、生産が止まらないように時間差で休憩を取っていたのだが、それでも休憩室は満員状態になるほどだった。

自分のパートは「和菓子製造」。
干しぶどうの次に「つぶ餡」が嫌いな男が、豆大福の生地をこねてやんの。

このパートに、とんでもないジーサンが居た。

40代後半、給料のほとんどを風俗に散財するひとだった。
その趣味に関しては、自分が批判するようなものでない。自分だって夢中になっていた時期はあったし、そこで働く女子をハニーにしていたこともあったのだから。
このジーサンのどこが駄目だったかというと、風俗嬢とのヒメゴトをポラロイド写真に撮り、それを我々に見せびらかしていたこと。

ジーサンの配慮か、あるいは彼女の要望か(こっちの可能性のほうが高い)、アングルは巧妙を極め、彼女の顔は映っていない。その代わりジーサンの醜い身体が全体の7割を占める悪趣味な写真を「ほれ見ろ、どうだ羨ましいだろう」と、毎日のように見せびらかす。

これを同性に対するセクハラと捉える向きもあるだろうが、そうは考えなかった。
ただ、なんちゅー自意識の持ち主だ、このひとの息子でなくてよかった・・・そんな風に思って、こころのなかで馬鹿にしていた。

自分だって褒められた自意識を持っているわけではない。
だが、勃起したジュニアを女にしゃぶってもらって悦に浸る写真を、他者に見せて気持ちよくなる彼の精神性は―気持ちは分かるがそれを抑えてこそ、社会人だろうがこの野郎。

広い意味では、こういうジーサンを俗物というのだろう。(広い意味で、だからね)
しかし自分もまた、俗物だ。
以前、ネットで知り合ったひとから「結局は自分がいちばん大事なんだね」と批判されたことがあったが、「えっ、それって当然なんじゃ?」と返した。「聖人君子じゃないんだから」と。
美しい言葉だっていくらでも吐けるが、自分には似合わないし、美しいもの醜いものすべてひっくるめて人間じゃないか、と・・・いうことになると、前出のジーサンの行動も認めなければならないのだが、
せめてユーモアがほしいよね、ユーモアが。

ま、その行動そのものが、ジーサンにとってはユーモアだったのかもしれないけれど。

…………………………………………

「牧野くん、辛抱強いねぇ」
「えっ」
「だって拒否してないじゃん、あの写真見せられるとき」
「いや、こころのなかで馬鹿にしてますから」
「はははっ、でもシルエットの感じからして、えらい美人なんだけど」
「そりゃ、そういうとこで働いているくらいだもの、Aさんがヘンな趣味の持ち主でない限り、いい子を選ぶでしょうよ」
「ちょっと憎らしいよね」
「そうですか、金の関係で成り立っているだけですよ」
「まぁそうだけど」

ほかの工員さんたちも、不快にはなりつつ、いろんな感情を抱いていたらしい。

既に10年以上も前のエピソードであるが―ジーサン、どうしているかね。出来得ることならば、あのままでいてほしい。超のつく俗物であってほしい。

いい写真、撮っていますか―。


※『俗物図鑑』・・・筒井康隆の代表作。
筒井さんの作品のなかで、『大いなる助走』の次に好きな作品。
映画版もあるが、原作の毒は麦茶で薄めたようになっていてガックリ。

2008年09月15日

礼子さんや自分のために、ハラチは生まれた―というのは、嘘だけどさ

「逃げた、逃げたっ! うちら道渡るんで、まっき〜さんは通りに沿って追っかけてもらえます!?」
「了解っ!」

…………………………………………

走った走った、これだけの距離を全速力で走った記憶はほかにない―そのくらい、走ったんだ。

4年くらい前の出来事・・・場所は東京は久米川、とあるホームセンター。私服保安員をやっていたころのエピソードである。

通常、保安員はひとりで巡回をするものだが、そのホームセンターはでかいし、しかも出入り口があちこちにあるという構造上の問題を抱えており、窃盗天国だったんだ、だから3人の保安員があらゆるコーナーを巡回するという方法を取り、ほとんど毎日のように窃盗犯を捕まえていた。

さて。この窃盗犯、車がビュンビュン飛ばす大きな街道を突っ切り、向かいの団地の階段にまで逃げ込んだ・・・のだが、最終的には捕まえることが出来た。

事務所に連れて行くと、依頼主である店長が、いきなりこの男を引っぱたいた。

「!」

自分を含めた3人の保安員、思わずびびる。
え、この店長、こういうひとだったっけ。というか依頼された自分たちの仕事であり、立場がないのだけれど・・・と思っていたら、実はこの男、以前ここでアルバイトしていたアンちゃんだった。わざわざ変装までして、ヘアドライヤーを盗みにやってきたのだ。「盗り易い」というのを知っていたからこその大胆な犯行だが、我々を導入したことは知らなかったのだろう。

こいつのことなんて、どーでもいいんだ。

結局、道路を渡った残り2人の保安員が彼を捕まえたわけで、自分は援護っぽい役割だった。団地に逃げ込んでいるのも知らず、とにかく走った。近くにカラオケボックスやボウリング場があり、刑事気取りで店員に警備手帳を掲げ、これこれこういう理由で男を追っている、来ませんでしたかなどと聞いていた。

心臓バクバク・・・緊張からではない、単に走り疲れたんだ。

短距離も長距離も得意なほうではない。現在も道場の練習で走っているが、あくまでもウォームアップとしてである。早く終えて、打撃や寝技の練習がしたい。
どちらかというと長距離のほうが向いているのだろうが、、、いやでも、どっちもどっちといったところか。
だから少しでも「機能性に優れた」シューズを履き、格好で補おうとしているところがあった。

そのときに履いていたのが、NIKEの「エアハラチ」である。

…………………………………………

ランニングシューズは機能性の高さでasics、スニーカーはデザインの良さでNew BalanceかNIKEと決めている。

デザインだけでなく、弱めの外反母趾かつ奇形じみた自分の足を優しくガードしてくれる・・・という点で、特に愛用していたのがNIKEの「エアハラチ」シリーズ。これは機能性にも優れているから、ランニングにも適していた。

色違いでいくつも購入するくらい、好きだった。
内部(画像では青と橙色の部分)はナイロン、だから足の歪みや異様な突起(いや、自分にはそういうものがあるから、だから奇形といったんだ)が擦れることがなかった、痛みがだいぶ抑えられたんだ。

http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/chapter-ex/cabinet/nike_2/huarache_429141_2.jpg

外反母趾のキツサは、ふつうのひとより理解しているつもり。姉はそれを治す手術をしたくらい酷かったし、だから、北京五輪の女子マラソンで棄権してしまった土佐礼子の悲愴感溢れる号泣には、思わずもらい泣きしてしまった。

もう遅いけど、土佐さん用にエアハラチを改良したランニングシューズを作ってあげてくれないかな、NIKEさん・・・って、そんなこと、既に試してはいるか。

ただこのシューズにも、欠点がある。
ナイロンは劣化し易く、ふつうのシューズに比べて駄目になるのが速い。
このナイロンだけを取り替えて履き続ける、マニアも多いのだけれどもね。


走りまくる赤毛のローラは、実はあんまり可愛くない・・・が、この映画ではチャーミングに見える。これが、映画の力だ。
ドイツ生まれのヒット作『ラン・ローラ・ラン』(98)予告編。

http://jp.youtube.com/watch?v=ta1Sn6MtC9w

(Youtubeより)

ジョニデの瞳の奥に潜む、重い想いの正体

■□ 『Kitchen Works』更新情報 □■

≪映画的最前線≫
『「ひとがたり」のテクニック―ストーリーテリング』シリーズ
ROUND338『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
(バートン節、健在。うれしいぞ)

リンクから、どうぞ〜♪

2008年09月14日

Sea Of Love

どの方角に立ってみても海を見ることが出来なかった「海なし」群馬で少年時代を過ごした自分にとって、海にはたいへんな憧れがあった・・・はずなのだが、思えば去年の夏も一昨年の夏も海に行かなかった。

あぁ今度の夏こそ、、、と思っていたのに、もう夏は過ぎていく。結局、5年間くらい海を見ていないという事実に軽く慄く。

サーフパンツを部屋着にしているクセして。
「アウトドアやってま〜す」的なファッションが好きなクセして。
自慢のチャリで飛ばせば、湘南江ノ島由比ヶ浜どこへでも行けるはずなのに。

ま、格好だけのハッタリ小僧なので、海が似合わないことは分かっている。自分に似合う場所はやはり、映画館であったり、エロ本コーナーであったり、格闘技会場なんだろう。
それでいいし、不満はない。ただ、映画やドラマではよく描かれる「海での出会い/恋」というものを経験したことがないので、どのくらいの確率であり得るのか、日常生活で出会うより燃え上がるものなんだろうかと、興味くらいは持つわけで。

持つだけの興味は実行には移さず、だから今年も、こんな団扇やタオルばかりが増えた。海の爽やかさではなく、リングの血生臭さ/汗臭さが漂ってくるじゃないか。

http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland4/mackyphoto839.jpg

(身を守れるという)自信がある表れなのだろうか、今年の夏も無防備な日常を送ってきた。
5階だからという安心感も手伝って、不在中も(さすがに玄関の鍵はかけるが)すべての窓を開けっ放しにして鍵をかけることをしなかった。犯罪率の高い町田市だ、スパイダーマンのように壁を上る泥棒が出現しても不思議ではないが、ま、盗られる恐れのあるものはひとつもない。

エロ本ほしい?
くれてやるがな。どんどん盗ってきな、自分のヨダレ(と、カウパー)つきでよければ。

上半身裸のサーフパンツ男は、来客が訪れてもその格好のままで応対する・・・ことが、ほとんどだ。もちろん女子であることが分かっていれば、Tシャツを着るけれども。
大抵は宅配便か郵便、新聞・宗教勧誘で、十中八九、相手はびびる。ま、びびらせたい相手なのでそれで構わない。同じ棟の住人さんだった場合のみ、「あ、ちょっとまずかったかな」とは思うけれど。

何年も部屋着にしているサーフパンツは、そろそろ「捨てどき」・・・ということで、先日、新しいのを購入。これを穿いて来年の夏こそは海へ、、、と思っている。

気が早い?
そうかもしれないが、元来が「せっかち」なんだ。

既に来年度のカレンダーはなににしようかなと真剣に頭を悩ませているし、

http://calendar-japan.com/

今年の大晦日は、Kinki Kidsが大阪を抑えたから埼玉で「K−1」「総合」の同時開催かなぁと予想して楽しんだり。

とりあえずは、来週23日(火)にひかえた『DREAM.6』に期待しよう。イベント史上最多の11試合・・・終電があるか心配じゃないかこの野郎と、嬉しい悲鳴をあげる。(青木真也の参戦も噂されていて、そうなると12試合だ。「あの」メタリカの生演奏まであるとかないとか・・・大晦日のノリじゃないか。ちなみにライバル・イベント『戦極』の地上波進出も、まもなくらしい)

白いマットのジャングルが、オイラを呼んでいるぜ―やっぱり自分には、海は似合わないということなんだろう。


いろんなひとがカバーしているが、このひとの『Sea Of Love』がいちばん好き。
http://jp.youtube.com/watch?v=2XXvY0rEncE

『DREAM.5』、青木真也VS宇野薫の煽りV完全版
http://jp.youtube.com/watch?v=HpgDYLngIBk&feature=related

(Youtubeより)

2008年09月13日

「土曜の午後はキッスで始まる」―映画小僧誕生秘話その169―

L≪『映画館の入場料』(1) 1800円は高いのか レンタル料金は300円前後だ≫

・・・・・ちょ、ちょ、ちょっ、ちょっと、ちょっと、、、ちょっと待った!

この表題を読んで、一瞬で回答を口にしたあなた、ちょっと待ってほしい。
どうか、どうか、待ってほしい。
この表題に対してこれから展開されていく4回のコラムを読んでから、もういちど考えてみませんか―と述べたからといって、別に自分が「高くない、むしろ安い」と結論づけているわけではありません。
4回にわたるこのコラムのゴールを決めていない自分自身でさえ、まだ結論を導きかねるテーマなのですから。

ある価格に対して「高い」「安い」「ちょうどいい」という考えを持つのは、なんらかの比較対象があるからこそです。
では「高い」と考えているあなたは、映画となにを比較したのか。「安い」と考えているあなたも同様。

「ほかの娯楽」と比較して?
テレビは無料じゃないかとか、レンタルは300円前後しかも7泊8日だぞとか、カラオケを割り勘にしたら映画1本で何度もカラオケボックスに行けるとか、DVDはどんどん安価になってきているじゃないかとか、でも音楽アルバムよりは安いだろうとか、演劇やライヴ、スポーツ観戦の入場料に比べれば安いだとか。

あるいは「食」と比較して?
ファストフードのセットは安いぞ、映画1本で何度「吉野家」に行けると思っているのか、回り寿司だって映画代よりかからない、呑み代よりは安いけれど。

はたまた「人生の時間」と照らしあわせて?
1日24時間のうち、2時間を要する。「たった」2時間と捉えるか、逆に2時間「も」と捉えるか。

感覚的に「高い」「安い」といってみるのもいいけれど、
これこれこういう理由で、相似である―という数学の証明問題のように、筋の通った話をしてみませんか。

とはいってみても。
このテーマをいい換えれば、「そのひとにとって映画が、どのような価値を持つのか」ということになり、これでは「たったひとつの回答」を導き出せるわけがない。
いやもちろん、「たったひとつの回答」など望んではいません・・・が、この章では可能な限り、「娯楽一般と比して」1800円という入場料は高いのか安いのかを考察していこうと。

もちろん値下げしていったほうがいいに決まっている。経済的にも助かるし、映画館での鑑賞頻度が増えることになるでしょう。

まず、この1800円の「行き先」について考えてみましょう。

大雑把にいいますが、このうちの半分―900円が映画館に、もう半分が配給・制作会社に渡ります。

光熱費や維持費、人件費に宣伝費・・・ある程度の興行収入を得られないと(映画館の)経営が苦しいであろうことは、容易に想像出来ますね。
配給・制作会社も同様です。大物俳優や有名監督を起用すればヒットは確実かもしれないけれど、ギャランティは破格のはず。映画のソフト化はその「保険」といわれているけれど、ビッグバジェットの過ぎる映画だと、DVDの売り上げを経過したのちも赤字をクリア出来ないケースもあるとか。

制作費をかけなかった映画の予想外のヒットが、映画館ならびに配給・制作会社にもたらす利益は実際の数字以上の価値を持っているといわれています。
だから「映画の質」によって、1800円が妥当だったのかそうでなかったのかに違いが出てくることになる。(ここでいう「質」とは、売り手の視点によるものです。買い手の視点については、のちほど)

そう、あくまでも一部でしかありませんが―それぞれの映画によって、料金が違ってもいいのではないか、そんな意見もあるのです。

以下、次週につづく。


≪参考資料≫
08年度版、赤字を出してしまった「スター映画に主演したスター」ランキング・・・米フォーブス調べ。

@ニコール・キッドマン
Aジェニファー・ガーナー
Bトム・クルーズ
Cキャメロン・ディアス
Dジム・キャリー
Eニコラス・ケイジ
Fドリュー・バリモア
Gウィル・フェレル
Hケイト・ブランシェット


つまり・・・
ニコール・キッドマン&キャメロン・ディアス共演で(爆破ありの)サスペンス映画を創ったとして、
その制作費で、先日のモントリオール映画祭グランプリに輝いた『おくりびと』が、40本くらい創れてしまう―ということです。

日本の俳優としてはそれなりの地位を持つモックンだけれど、ふたりに比べれば安上がりであろうことは、容易に想像がつきますものね。

2008年09月12日

『ろくでなし』外伝(15)

本編『ろくでなし』の「腹」と題された減量エピソードは、なんと「その18」まで続いている。
糖尿病で苦しんだ母の人生と交互に描いたから・・・とはいえ、各章は大抵「その3」、長く続いても「その6」程度だから、よっぽど力を入れていたのだと思う。
確かに自分の青春のターニングポイントといえるものだし、深く関わり続けていくことになる「映画」も「マッチョ主義」も、さらには「自慰」さえも含まれているエピソードだから、自分語りイコール減量、と位置づけることだって出来る。

先鋭的にオタクを論じていた岡田斗司夫が、「オタキング」という名を返上するに至った数十キロの減量―体型が変わるということは、ひとの人生を大きく変えてしまうものなんだなと痛感する。

いま読み返してみると、その文体にユーモアはなく、本気度がひしひしと伝わってくる。いやユーモアを入れた「いつもの」コラムも本気で記しているが、ユーモアが入り込む余地がない、つまり余裕がなかったのかもしれない。拙著『情の花』にも載せられなかった想いを、ネット上で書きなぐってやろう―そんな意思さえ感じさせる。

リライトしていったら、別の物語が出来上がりそうなほど、アレモコレモと直していくだろう・・・まぁしかし、その歳でしか、その時期でしか書けないものがある、これは自分の資料として、自分のためにそのままにしておこうかな、とは思う。

“私が肥満に悩んでいた頃―母もまた、私とは全く別の理由で、肥満に悩み、苦しんでいた。糖尿病。なおかつ、骨粗しょう症の疑いがあり、更年期障害も酷かった”

“糖尿病との付き合いは、30代後半から始まり、それは、亡くなる49歳まで続いた”

“脚が、むくむ。すぐに動悸が激しくなる。視力が極端に落ちる。医師は、それら全ての要因が糖尿病にあるといい、沢山の薬を勧めた。服薬すべき錠剤が、日増しに増えていく。薬の副作用により、髪が抜ける。パートも、辞めざるを得なかった”

苦しんでいても、「寝ていなよ」とか、そんな言葉しかかけてあげられない。
あまりにも毎日「苦しい苦しい」いうので、一瞬、ほんとうだろうかとか疑うことさえした。

“太った母しか知らない。試しに、アルバムを繰ってみる。―あぁ、少女時代から、ふくよかではあったのか。だが、次のページではにかんでいる母―父に出会う直前―は、華奢と表現していいほどに痩せている。私は、苦笑する。母子そろって、体型がコロコロ変わっているのだから”

“母は質素だ。お洒落にも興味がなく―いや、経済的理由により、ないように振舞っていただけかもしれない―いつも安物の洋服を着て、サンダル履きだった。出かける時も、口紅だけ。だからというわけでもないだろうが、食べ物だけは、自分の欲求に従った。そんな母の前に立ち塞がったのが、糖尿病だった”

“あれを食べてはいけない。これも食べてはいけない。あれは塩分を控えめに。これは何もかけずに。糖尿病は、母の唯一の楽しみを奪った”

自ら望んで減量した子どもと、そうでない母と―18年ほど前の牧野家では、「食」に苦しむ二種類の人間が存在していた。

次週につづく。

http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland7/File0007.jpg

http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland7/File0008.jpg

2008年09月11日

『ろくでなし』外伝(14)

「学校時代なんて、暗いのが当たり前。明るいなんていってる奴のほうが、おかしいんだよ」―そんなスティーブン・キングの言葉を聞かなければ、吹っ切れなかったかもしれない。
みんなそうだ、自分だけじゃない―閉鎖的で、集団の力学がはっきりと機能する“ド”田舎では、そんな事実にも気づき難い。外の世界を知りたくても、環境と年齢に限界があった。そこを補ってくれたのが、映画だったというわけ。

映画が寄り添ってくれなければ、黒い夢を抱いたままで、かといってそれも実行出来ず、ひとりもがいていたんだろう。

それでも―いじめ加害者を殺す夢を映画に託し、減量を行動に起こすには・・・まだしばらく、時間を要した。

“体育教師には好かれていなかった。もっとはっきりいえば、とことん嫌われていた。跳び箱を跳び越えられない。縄跳びも、二段跳びが出来ない。懸垂は、1度も出来ない。50メートル走は、走っているように見えない。長距離は、失踪でもしたのではないかと心配されたあたりで、漸く戻ってくる”

マッチョ主義を貫き始める上京後とは、えらい違いだ・・・いやこの過去があったからこその、マッチョ主義なのだろう。

“プールの時間は、きまってズル休み。教師は心配などせず、どうでもいい言葉を返す。 「先生、風邪気味なんですけど・・・」「あぁ、いいや。プールサイドで、休んでろ」”

自分が邪魔だったのだ。これは決して、被害妄想ではない。教師は絶対に、自分と目を合わせなかったのだもの。

“運動会など、なにひとつ楽しくはなかった。持久走大会など、肥満児いじめかと思った。恋をして告白して振られても、肥満が原因とは考えられなかった。ただ―いつ頃からだったろうか、周囲の視線を、次第に気にするようにはなっていた”

「いよいよだな」―そう痛感する出来事が、中学3年の冬に起こる。よりによって高校入試の面接会場で起きたこのエピソードは、あまりにもケッサクなので専門学校時の習作シナリオとして、40枚の短篇にしたほどである。

そのタイトル?
『制服ボディコン』と名づけたが、それがセンスあるものかどうかは分からない。

“「(五千円札を差し出しながら)母ちゃん、試験、落ちたかもしれない。滑り止めだったのに」「・・・どうして?何、そのお金」「ズボン、裂けちゃって。卒業まで、あと2ヶ月くらいなのに」「五千円じゃ、制服は買えないよ」「・・・そうなの?」”

“母は、裂けたズボンを受け取り、苦笑した。ズボンを縫いながら、何となく会話が始まる。 「2年生の時、入らなくて買い替えたじゃない。あの時も冬だったけど・・・学校の制服って、シーズン時に値上げするの」「・・・そうなんだ」「縫えば、あと1年は大丈夫だって」「そうかな・・・怖くて、穿けないよ」「大丈夫」”

“試験官の「座ってください」の声とともに、ズボンの裂ける音が、面接室に響き渡った。左脚の内側から、ズボンは裂けていた。それでも、団体面接は15分間も続いた。私は左手でズボンの裂け目を押さえながら、試験官の質問に答える。こんなことって、あるのだろうか”

失恋もいじめも、減量をしたいちばんの理由ではなかったかも・・・と思うほど、痛くて切ない出来事―でも絵的に、これほど面白い場面もないだろう。

“あんな茶番劇で合格してしまった事実が、現在でも信じられない。試験官の、お情けだったのではないだろうか―”

つづく。

2008年09月10日

『ろくでなし』外伝(13)

被害者と加害者の確執が浄化されていくドラマより、被害者が加害者への復讐を果たしていくドラマに「より」感情移入が出来る。
だから復讐を遂げろ、場合によってはソイツを殺っちまえ! などとは、もちろんいってない。
大概のひとは、そんな行動を起こさないし起こせない。かといって浄化など出来ない―そんなときに役立つべきなのが、文学であったり音楽であったり映画であって・・・ほしい、という想いをずっと抱き続けている。

スティーブン・キングの処女小説であり、ブライアン・デ・パルマの最高傑作かもしれない映画『キャリー』(76)を、あるひとに薦めたのだが・・・

「これは全然駄目、登場人物全員が狂ってる。理解出来ない」

と、吐き捨てるように感想をいった。

あぁそうか、そういう感想もあるのか。
薦めたものを楽しんでもらえなかったことにガッカリはしたが、そのひとに不満を抱いたわけではない。
超能力少女、その狂信的な母親、豚の血を浴びせようとするいじめっこ、彼女を助けようとする教師までをも含めて「登場人物全員が狂ってる」という指摘は、間違っていないし。

キャリーが、自身の才能を開花させるクライマックス―「善意の教師」を含めた学校関係者のほとんどが「惨殺」される意地悪な展開に、嫌悪感を抱いたのだろう。
そのひとはきっと、「被害者と加害者の確執が浄化されていくドラマ」を期待したのだ。

常に善が勝ち、平和が保たれ、恋人たちは愛を囁き合い、新しい生命は歓迎される―というドラマだけしか創られてこなかったとしたら、自分は映画に夢中になれなかったにちがいない。
登場人物のほとんどが死んでしまったり、誰にも幸福が訪れなかったり、悪漢が逃げ切ってしまったり、弱者が精一杯強がったり、逆に強者がなにも活躍出来なかったり・・・そんな物語に触れると、自分はとても元気が出るし勇気をもらえるし、そして、そんな物語を待っている映画小僧は自分だけじゃない、ほかにもきっと居るはずだと信じて、きょうも物語を紡ぐ。

では映画に夢やロマンを求めていないのかと問われれば、それは違う。アンチヒーローの『タクシードライバー』(76)トラビスに、キャリーに、自分には果たす勇気のない夢を託しているところは、ある。確かに、ある。人間として「?」と思われるかもしれないが、ある。

それが復讐であり、ひとごろしなんだろうなぁと思う。
ドラマの登場人物に黒い夢を託しつつ、過去の自分はもう一方の夢を目指す―それが、減量だった。

減量に成功出来たのはだから、映画と、中〜高校時代のいじめっこたちか。殺意は宿したままという性格の悪さだが、この際、彼らにも有難うといっておこうか。再会したら再会したで、ぶん殴るとは思うけれど。

そんなわけで―高校時代の減量のきっかけを、ひとつに絞ることは出来ない。
「肉」が恋の障害になった面もあれば、年がら年中「肉をつままれた」いじめもそうだったし。

“私が、自身の肥満体を気にかけるようになった時、既に私の体重は、70キロを超えていた。身長は、150センチと、ちょっと。縦に伸びるはずの成長期は、私には通用せず、横だけに伸びていった”

“それで、構わなかったのだ―少なくとも15歳までは。日々、美味しいものをたらふく食べるほうが大事であり、見た目など重要ではなかった”

つづく。


もう何度となくリンクしている、推定115キロ当時の映画小僧

http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland2/mackyphoto3.JPG

2008年09月09日

板垣退助より、漱石の「髭」

リングやネックレスはもちろん、ピアスもタトゥーもしない―かわりに・・・なのかどうかは分からないが、現在の自分に不可欠なもののひとつが「髭」だと思っている。(ま、リストバンドだけは好んでするけれど)

髭も大事なファッション。自分にとってハーフパンツやTシャツと同じ価値を持つ。
高校卒業を待って「卒業式の翌日から」生やし始めたのだから、その憧れはかなり強いものだったのだろう。

口のまわりを髭で覆うことはしない。あくまでも、「アゴ」のみ。かといって、香港映画のカンフー師匠(や、板垣退助)のように、伸ばし続けるわけでもない。常に、ある一定の長さを保つことによって、あぁこれだよ、なかなか格好いいんじゃないか自分、、、と自己陶酔出来る。(顔が、とはいってないよ、顔が、とは。あくまでも髭が格好いいと思っているだけ・・・と断り書きする程度には、自分をわきまえている・・・はず)

改めて板垣さんの写真を見てみる。
すげぇなぁとは思うが、真似してみようとは思わない。細身に貫禄をつけるという意味では成功しているが、格好いいわけじゃない。

http://www.ndl.go.jp/portrait/1024_1536/427-53/002/0017_l.jpg

漱石や鴎外の髭は、いかにも文学者で格好いい。(漱石のほうは、口髭のみだけれど)
(若い頃の)スコセッシもキューブリックもデ・パルマも黒沢清も、髭によって「クセモノ」であることが分かる。
逆にスピルバーグやイチローは、どれだけ無精髭を生やしていようとも、なぜか健全なんだな。これもまた個性か。

ときどき、事情があって全部を剃らなければならないのだが・・・
まぁ僅か4〜5日で元の状態に戻せる「やや過剰な」男性ホルモンを宿しているものの、その数日間が耐え難く、外出さえ控えようと思ってしまうくらい「ノンヒゲ」な自分を好きになれない。

ヒゲトリマーを使うことはしない。オリジナルの髭の揃えかたを編み出した? ので、だからこういうサイトを参考にすることもない。

http://national.jp/product/beauty_health/haircut/cuttech/hige/tech01.html
(松下電器サイトより)

ま、見ているぶんには面白いページだけど。

理想は、髪の毛と髭の長さが「ほぼ同じ」状態を保っていること。
これを管理するのは、なかなか大変である。伸びる速度は同じではないし、上は「バリカン」、下は「ハサミと髭剃り」という風に、ツールも違うわけだから。
まぁそれを保つ努力が出来る程度には神経質なので、いまのところ・・・というか、もう10年ちかくも同じスタイルを続けてきた。

そんなものかな、、、と思うのが、髭があったほうが「若く見られる」ということ。
剃った途端に「老けたよね」といわれ、元の状態に戻ると「あ、やっぱり年齢よりも若々しいかも」と訂正される。

女子受けがいいかどうかは、やはりひとそれぞれだ。
髭に抵抗がない子であれば「似合っているからいい」といってくれるが、あのジョリジョリ感は苦手だとか、アレルギーっぽい子も居るしね。

街を歩く女子が、誰かに見られていると自覚したときに、髪をいじくり出す―という無意識の行動パターンは、よく知られた話だが・・・
自分の場合はもちろん、髭を軽くいじる。

ナルシスト?
まぁ微妙に、そうなのかもしれない。社会的に許される範囲内の、ナル君なのだろう。筋肉いじってみるより、いいでしょ。
そんなリアクションは、なかやまきんに君と、パッション屋良に任せておけばいいわけだし。


面白いひとには面白い、つまらないと感じるひとはクスリともしないであろう、きんに君の『筋肉漫談』。

http://jp.youtube.com/watch?v=xytKYctLvkQ

(Youtubeより)

2008年09月08日

『Sympathy for the Devil 悪魔を憐れむ歌』

事件をあるく ロマン・ポランスキーと、シャロン・テート事件(3)

厭世的になりがちな犯罪者の多くがそうであるように、チャールズ・マンソンの生い立ちもまた、過酷なものだった。
売春で生計を立てていた母親は、ガソリンスタンド強盗の罪で服役―その間、叔父の家に引き取られたが、この叔父がまた狂人だった。虐待はもちろん、なぜか女装をさせて小学校に通わせたりもした。
その過去から犯罪を正当化することは出来ないが、犯罪に手を染め易い環境にあったことは確かである。
10代後半で既に刑務所に入ったが、看守からも性的暴行を受ける―どうしてもこうも、負の環境が揃うのだろうか。

67年―何度目かの刑期を終え、社会復帰したマンソンは既に33歳になっていた。
隆盛していたヒッピー文化にどっぷりと浸かり、そしてビートルズを愛した。

「俺も、ビートルズのようになりたい」

『抱きしめたい』『ヘルター・スケルター』、そして『マジカル・ミステリーツアー』・・・マンソンを語る際に欠かせぬキーワードだが、これだけを眺めると、とても犯罪者とは思えない。ミュージシャンの卵と、なんら変わりはないじゃないか。

マンソンは「夢」を「現実」にすべく、「真面目に」行動を起こした。
作詞作曲したオリジナル・テープを音楽プロデューサーに送ったこともある。その過程で、実績もある業界人テリー・メルチャーと出会うことになった。後述するが、テリーが以前住んでいた豪邸の新居住者が、ロマン・ポランスキーとシャロン・テートの夫婦だった。自分の音楽が評価されない怒りをぶつけるためにテリーに会いにいったら、別の夫婦が住んでいた―こうしてテートは、「わけもわからず」殺害されてしまうのだった。

テートが殺害される、約2週間前の69年7月25日―マンソンの一生を大きく変える事件が起こる。

ドラッグ密売人のゲイリーが隠し持つ「2万ドルの遺産」に目をつけたマンソン・ファミリーは、彼を殺害してしまうのだ。
それを黒人過激派「ブラック・パンサー」の仕業に見せかけようと、現場を偽装するメンバーたち。逮捕されたひとりは、のちに「そうすれば人種間の対立が激化し、“ヘルター・スケルター”の訪れも近くなるから」と語ったが・・・
いや、自分たちの仕業であることがばれなければ、なんでもよかったのだと思う。

強盗や売春、ドラッグなどに手を染めていたマンソンも、「殺人」を犯したことはなかった。
しかし・・・
ゲイリー殺害が引き金となり、逮捕される10月までの約3ヶ月間、悪の限りを尽くすことになる。

一方―まだマンソンの存在さえ知らなかったポランスキーは、若手女優シャロン・テートを見初め、自らの監督作に起用する。
作品そのものはイマヒトツだが、テートの魅力は充分に伝わってくる『吸血鬼』(67)である。

ふたりは結婚し、テートは身ごもった。まさに幸せの絶頂期に、シャロン・テートは殺害されたのである。

http://i170.photobucket.com/albums/u241/ericchrisrhinehart/SHARONTATESUPERSTAR.jpg

つづく。

2008年09月07日

原稿料いくら〜? とか、聞いてみたい気持ちもある―とーちゃんは、好敵手

『週刊少年ジャンプ』(集英社)の『キン肉マン』や『北斗の拳』のつづきを待ちわびるのと同じ感覚で、新聞連載のつづきを楽しみにするような経験を、いちどもしたことがない。

ただ、こころの師・漱石の時代だったら、待ちわびる想いを毎日抱いていたかもしれない。終世の愛読書『それから』も『三四郎』も、新聞連載小説だったのだから。
『それから』のラストなんて、あんなもの一気に読みたいよ。あのとてつもない感情の高まりを毎日持続させるなんて、身体がどうにかなってしまう。
ともあれ。ほかの記事がどれほどつまらない、役に立たないものでも、この連載小説だけで購読する価値があったと思う。というか、購読料の倍を払ってもいいと思う。

もちろん現在とは違い、ほかに情報・表現ツールと呼べるものが少なかったのだから、新聞の価値がとても高かったという面もあるだろう。それを考慮しても、『それから』で得た読書の高揚感といったものを体験させてくれる連載(小説に限らず)がないことは、現在の新聞の価値を、著しく低下させているのだろうな―と、思う。

思い返してみても―最後に新聞連載小説を読んだのは、村上龍の『イン・ザ・ミソスープ』まで遡るものなぁ。
あれは98年の作品だから、もう10年も経つ。

現在、自分が購読しているのは読売新聞。
四コマ漫画は、相変わらず『コボちゃん』。西原理恵子やしりあがり寿を起用する他紙のほうがよっぽど冒険をしているが、毒にも薬にもならぬ四コマというのも必要なのだろう。自分が小学生のころからコボちゃんはコボちゃんのままだし、作者の描線はまったく変わっていない。

そもそも記名制でない『社説』で、あんな偉そうなことをしゃあしゃあといえてる時点で新聞を信用出来ないのだけれども・・・
(ごくたま〜に)とても意義のある記事が載っていたり、(紙そのものを)散髪や爪切り、調理などに再(?)利用することが出来るから購読をやめない。
それに新聞奨学生をやっていた経験で、(辛さが分かっているから)勧誘を断れないという面もあったり。

そんな自分でも、身内の連載が始まったとなれば別だ。つづきが読みたくて読みたくて、ウズウズしてくるもの―そう、父の連載が、地元の『上毛新聞』で始まった・・・といっても、館林・邑楽(おうら)版の別紙『シャトル』に限定掲載、というものだけれど。

タイトルは『藤牧義夫の光』。
失踪した、謎多き館林出身の版画家―小説かと思ったが、教科書テイストのコラムである。

館林・邑楽に住んでいなくとも、群馬県民は上毛の支局に行けば『シャトル』はもらえる。
とりあえず自分は、父から原稿を送ってもらって読んでいる―有難いが、出来れば毎日配達されてくる形をとって、ページを開いて・・・という、新聞連載ならではの醍醐味を味わいたい。

知識と人生経験では圧倒的に負けているけれど、
怪我の数と毎日の更新「だけ」は先輩であろう自分は、「どう〜? 毎日って大変でしょー?」とかいってみるが、いやいやこれが、けっこう面白い。身内のことだからどう表現してもこそばゆくなってしまうものだが、ぜひ多くのひとに触れてもらいたいなぁと切に思う。

いずれ出版されるであろうから、そのときはサイトで大宣伝してあげないとね。

2008年09月06日

(ほとんどの)雑誌は、BOOKOFFでも買い取ってもらえない

あるいは―『さようなら、ROADSHOW』。

10年ほど前―小説やノンフィクションを読めなくなるほど、多くの雑誌に目を通していた。

『SAPIO』(小学館)、『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)、『新潮45』(新潮社)、『文藝春秋』(文藝春秋社)、『Number』(文藝春秋社)、『キネマ旬報』(キネマ旬報社)、『映画芸術』(編集プロダクション映芸)、『月刊シナリオ』(シナリオ作家協会)、『映画秘宝』(洋泉社)、『Cut』(ロッキング・オン)、『ROCKIN’ON JAPAN』(ロッキング・オン)、『Buzz』(ロッキング・オン)、、、そして『ロードショー』(集英社)。

鳴り物入りっぽい感じで創刊された雑誌『KING』(講談社)が廃刊されるニュースを聞いても、
「まぁそうだよね」
という感想しか抱かなかったが、『ロードショー』廃刊のニュースには、軽く動揺した。

それはそうだ、だって青春の雑誌だもの。映画小僧が映画小僧を自称するために、全頁を3度くらい読み返すほど愛読した雑誌だもの。

こういう、常に一定の読者が存在しそうな雑誌が廃刊されるというニュースを聞いて、初めて、あぁやっぱり、雑誌が売れない時代なんだ、ネット時代なんだなと思う。

映画のあらゆる方向に目が行き届いている『キネマ旬報』は、知識と情報を取り込むには最も適した雑誌だろう。しかし、その「公平な視点」はかえって面白味を殺してしまい、アイドル雑誌と捉えられている『ロードショー』のほうが「偏り」があって面白かった。

ある年の読者投票で、最高の映画が『パールハーバー』(2001)に選ばれた。
その翌月のコラムで、ある識者は「あんな映画を選んじゃいけない」と、読者を叱る。
また別の月でこの識者は、「馬鹿な映画を持ち上げ過ぎるから、馬鹿映画が蔓延る」と毒を吐く。
4ページを割いて「俳優が語るセックス」を特集し、バート・レイノルズに「ふたりが同時に絶頂を迎えるときの素晴らしさは、言葉になんか表せない」と語らせたり。
9割の読者が興味を持たないであろう、変態監督ピーター・グリーナウェイの素晴らしさを淀川せんせーが語り倒したり。

実は、意外と挑発的な記事が多かったのだ。

読者として投稿を繰り返し、それがいくつか掲載されて、批評家の故・田山力哉氏と内海陽子氏との接点をも作り出してくれた。

内海さん、自分の批評を褒めてくれて有難うございました。褒められて伸びる子なんで、モノスゴ嬉しかったです。

そういえば旬の女優さんのセクシーショットで自慰をしたこともあったな、エロ本じゃないのに。
最終号くらいは購入しようかな、だって性春の雑誌でもあるのだから―そんな風に考えている。

上に挙げた雑誌群で、現在でも購読しているのは2誌のみ。
経済的理由が大きいけれども、確かにネットで充分だから・・・という気持ちも、どこかにあることに気づく。ただ、成人雑誌や格闘技雑誌に文章を載せてもらって小銭を稼ぐ身であるがゆえ・・・この雑誌不況は、ふつうに哀しい。

「時代だから」といってしまうのは、容易だけれども・・・・・。


いつの時代も変わらないのが、「子役が“ナニゴトもなく”おとなの俳優へと成長を遂げる」難しさ、か。

ジョディ・フォスターを愛する自分は、ジョディのケースだけでなく、主に男優・女優列伝で飽きられるほど「子役の受難」を述べてきた。

柳楽優弥くんが(病院に運ばれた)事件の真相は、本人にしか分からない。

『誰も知らない』(2004)が偉大過ぎて先に進めない―という、多くのひとが考える遠因とは、ほんとうに無関係なのかもしれない。

けれども。
けれども。
そういう風に解釈してみたくなるものなんだな。

とはいえ。
軽く検索してみただけで。

出てくるわ出てくるわ、いいたい放題の言葉の暴力。愛情に裏打ちされたものならば、それも「アリ」だけどさ。
コカインマリファナ大麻やったわけじゃないし、盗撮したわけでもないのに。

そりゃ、躓くよ。ナーバスにもなるよ。人間なんだから。

ダイブを果たした窪塚くんの、俳優としての将来性を買っていた自分なんかは、未だ彼の完全復活を願うようなところがあって。
柳楽くんも同様・・・いや、あの「眼力」に触れてしまった誰もが、復活を願っているんじゃないか。

結局は、本人の問題―であることは分かっているけれども、、、
是枝監督、彼を救ってやってくれ。

『誰も知らない』主題歌

http://jp.youtube.com/watch?v=8gMUz5nGcAY&feature=related

(Youtubeより)


…………………………………………

追記
「廃刊」ではなく「休刊」のほうが適切なのでは―というご意見を、メールでいただきました。
しかし「休刊」にすると「復活する可能性がある」ように捉えられますし、『ロードショー』は実際、復活するようには思えない。
また、「復活」とか「再結成」を、あまり歓迎しない・・・という、単なる自分の好みから、今回は「廃刊」を使うこととしました。

2008年09月05日

海外女優列伝(205)メアリー・エリザベス・マストラントニオ

【Mary Elizabeth Mastrantonio】

58年11月17日生まれ・現在49歳。
アメリカ・イリノイ州シカゴ出身。

≪画像≫
豪華な同窓会。ふたりの女優のスタートは、『スカーフェイス』(83)からだったといっていい。
http://www.tvguide.com/images/pgimg/al-pacino10.jpg
http://www.nndb.com/people/617/000025542/mem3-sized.jpg
キャメロン監督のキャリアでは「失敗作」ということになっているらしいが、いや、けっこう面白いぞ
http://img5.allocine.fr/acmedia/rsz/434/x/x/x/medias/nmedia/18/36/08/77/18451046.jpg
(画像はすべて、海外サイトより)

ケビン・コスナー(男優列伝53)もハーベイ・カイテル(男優列伝150)も、デビューからしばらくは注目さえされない「沢山存在する無名の脇役」に過ぎませんでした。(現在のコスナーは「そのころに戻っているんじゃ?」などと、毒を吐いてはいけない)
「選ばれた」「幸運な」「一握りの」もの以外は、皆、そんな過去を持つ。
自分の出演シーンを「まるごと」カットされた経験を持つのは、コスナーだけではないのです。本日紹介するメアリー・エリザベス・マストラントニオさんも、そのひとり。
物語の都合上・・・というのは分かるけれども、これは辛い経験だと思います。撮影も済ませているわけだから、「私、この映画に出ているんだ〜」と周囲に宣伝して回るでしょうし、なにをいわれるか分からないから、公開後は宣伝して回ったひとたちに会いたくないでしょう。
メアリーさんは、天才スコセッシによる『キング・オブ・コメディ』(83)で、幸運な映画俳優デビューを飾る―はずでした・・・が、様々な「都合」により出演シーンは「まるごと」カット。
そのことに責任を感じていたのでしょう、スコセッシは3年後に再び彼女を起用し、しかもトム・クルーズ(男優列伝137)と共演させ、それがオスカー助演賞ノミネートにつながっていくわけですから、まぁ嫌な思い出として引きずることはなかったと思います。
よかった、よかった。
<経歴>
オペラ歌手を夢見て、イリノイ大学で声楽を専攻。
興味は次第に演技の世界へとスライドし、多くのオーディションを受け始めました。
映画界からの反応は弱かったものの、歌唱力が評価されてブロードウェイの舞台に立つようになります。そこで演技の基礎を固め、スクリーンの世界へ。
映画俳優デビュー作は、83年の『スカーフェイス』。
ブライアン・デ・パルマ&アル・パチーノ(男優列伝4)の代表作であり、現代ギャング映画の5本に数えられるパワフルな傑作です。
ちなみにミシェル・ファイファー(女優列伝199)がパチーノの恋人役、メアリーさんはパチーノの妹役でした・・・大きな声ではいえないけれど、ふたりとも、まだこのころは「“超”野暮ったい」。(冒頭の画像が、その同窓会というわけ)
スコセッシの超絶カメラワークが冴え渡る『ハスラー2』(86)ではトム・クルーズの恋人を演じ、『スラムダンス』(87)や『乙女座殺人事件』(89)などの佳作サスペンスに連続出演。
89年―ジェームズ・キャメロンによる海洋SF『アビス』で、ヒロインを演じる。
エド・ハリス(男優列伝25)のパートナー役で、これがメアリーさんの代表作といっていいのかもしれません、お金もかかっているし。
しかし、あまり評判はよくないのですよね。面白いと思うのだけれど。
ケビン・コスナーの『ロビン・フッド』(91)、社会派『訴訟』(91)、『隣人』(92)・・・と、なかなかの力作が続く90年代前半が絶頂期なのかもしれません。
『WISH ウィッシュ/夢がかなう時』(95)、よほど海に縁があるとみえて『パーフェクト ストーム』(2000)のような海洋パニックにも顔を出すも・・・
最近の映画はほとんど日本劇場未公開なので、新作を評することが不可能な状況。
けっこう出演作あるはずなのに・・・寂しいですなぁ。

次回の女優列伝は、メアリー・スティーンバーゲンさんからです。

…………………………………………

早朝から警察署に行っていたので、こんな時間に更新です。

いや大丈夫、犯人じゃないから汗
どちらかというと「人助け」ですが、被害届けを出したので、まだ詳細は明かせません。

のちほど、こっそりと・・・・・。

2008年09月04日

海外女優列伝(204)ミラ・ソルビーノ

【Mira Sorvino】

67年9月28日生まれ・現在40歳。
アメリカ・ニュージャージー州出身。

≪画像≫
数年前の写真だけれども・・・30代後半には見えない
http://www.poster.net/sorvino-mira/sorvino-mira-photo-mira-sorvino-6221618.jpg
このポスターにクラッときた男子、多し
http://www.cine5x.com/fotos/mira_sorvino_1.jpg
元気の出る映画。女子の支持率、高し。
http://imagecache2.allposters.com/images/pic/MMPH/225456~Mira-Sorvino-Lisa-Kudrow-Posters.jpg
(画像はすべて、海外サイトより)

そーとーなエリートなんだけれども・・・
どう考えても気が触れているとしか思えない我らがヒーロー、クエンティン・タランティーノの彼女だった時期もある―ことを考えると、ミラ・ソルビーノさんってきっと、いいひとなんだろうな、外見でひとを判断しないひとなんだなぁと思います。
「そんなことで?」と思うひとが居るかもしれない。しかし「このこと」を理由にして、ミラさんを無条件に支持する/好意を持つ映画ファンは意外と多いのです。
恐れ多くも「稀代のオタク監督」と自己を投影し、オタクだってこんな美女が振り向いてくれることがあるのねぇ、、、そう夢想しているからです。
<経歴>
父はコワモテ俳優で、大大大傑作『グッドフェローズ』(90)にも出演した、ポール・ソルビーノ。

どのくらいのコワモテかというと、こんな感じ

http://blogs.kansascity.com/photos/uncategorized/paul_sorvino.jpg

ついでに、『グッドフェローズ』の面子が揃ったショット

http://cache.eb.com/eb/image?id=90602&rendTypeId=4

広東語まで話せる才女は、ハーバード大学で東アジアの言語と文化を専攻していました。
ロバート・デ・ニーロ(男優列伝238)が立ち上げたプロダクション「トライベッカ」の社員になるも、次第に演技に興味を持つようになる。
映画俳優デビュー作は、93年の『ニューヨークUコップ』。
ロバート・レッドフォード(男優列伝240)の知性溢れる演出が冴えた『クイズ・ショウ』(94)では、主人公の妻を演じ、僅かな出番ながら印象に残る好演。
そして95年―ウディ・アレン(男優列伝22)によるコメディ『誘惑のアフロディーテ』でチャーミングな娼婦を演じ、オスカー助演賞受賞。
『ブルー・イン・ザ・フェイス』(95)、『ノーマ・ジーンとマリリン』(96)では「マリリン」のほうを演じたりと、そのルックスを活かしたキャラクターを演じることが多かったのですが、彼氏だったタランティーノの影響か、あるいは本人が好きだったのか、アクションやホラーにも果敢に挑戦していきます。
B級パニック『ミミック』(97)、いかにもアメリカンなコメディ『ロミーとミッシェルの場合』(97・でもほんとうに元気が出る)、『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(98)、アクション『リプレイスメント・キラー』(98)。
スパイク・リーが実在の猟奇殺人者に迫る『サマー・オブ・サム』 (99)、そして最新作が『帰らない日々』(2007)。
最近、映画の仕事が少ないということは・・・現在の結婚が、うまくいっているんでしょうね。

明日の女優列伝は、メアリー・エリザベス・マストラントニオさんです。

2008年09月03日

ラウンドガールは女子高生だった

血と汗のリングに、「爽やか」という言葉ほど似合わないものはない。

けれども・・・
爽やかだ。爽やか過ぎる。
一瞬、「ここは格闘技会場か?」と疑問を持つほどだった。

それもそのはず、リングに上がっているのは18歳以下の少年なのである。

8月29日―ディファ有明は1270人の観客が詰めかけ、満員の札止め。
いやもちろん、彼らの家族や学校関係者が多く、全国的知名度があるわけではない、このまま人気シリーズとなっていく保証もない。けれども彼らは、とても必死・・・そこがまた、爽やかでいい。

『K−1甲子園  KING OF UNDER 18 〜FINAL16〜』・・・未来の魔裟斗を発掘する、大事な大事なイベント。

格闘技ファンというものは、サッカーや野球ファンよりも(自分を含めて)いちいちうるさい連中が多い。だから今回も「イケメン重視」だとか「視聴率重視」だとか散々叩かれているが、まずは結果を見てからにしようぜ。

開会式はチアガールが舞い、ラウンドガールは制服姿の女子高生が務める―高田統括本部長が「ふんどし」姿で太鼓を叩くのも最高だけど、彼ら彼女らのパフォーマンスも(青臭くて)悪くないぞ。

そうなのだ。立ち技にしろ総合にしろ、一般のひとが抱く現在の格闘技のイメージというものは、「残酷」であったり(プロレスとの違いが分からず)「ショウ」であったりして、これがスポーツとしてなかなか認識されない大きな要因のひとつとなっている。
それを変えていかなければならない。

暴行死や薬物事件なども影響してか、国技であるはずの相撲が、いまひとつ盛り上がらない。自分も若貴時代以降は興味を失くしてしまったが、立ち技/総合格闘技だってそうなってしまう可能性がある。実際、PRIDE消滅や秋山事件があって、数年前の勢いが夢であったかのような印象を受けるほど、現在は「チマチマ、好きなひとだけが勝手に盛り上がっているもの」になってしまっているんじゃないか。
だから『K−1甲子園』は、格闘技オタクが思っている以上に大事なイベントだと思うのだがな。(もちろん選手の安全面を最優先にし、ラウンドを「3分」→「2分」に変更したりと配慮も忘れてはいない)

理数系や文化系の甲子園もあるから、この発想自体は特に優れているわけではないが・・・HIROYAのデビューがあったからこそ、実現出来たイベントであったろう。
魔裟斗に憧れ、単身、タイで修行してきた10代のファイターである。

このトップページ、なんちゅー爽やかさだろうか。まだ、金と女のニオイがしない。いやもちろん、それなりに稼いでいるし、モテモテなのだけれども。

http://www.hiroya1992.com/

HIROYAは圧勝で1回戦目をクリアしたが、意外な選手が負けたり勝ったりと、なかなか面白いイベントだった。(この模様は、21日にTBSで放送される予定)


映画の脚本家/批評家を目標にしつつ、マッスル系ライターを自認する自分は、
きょうも道場で汗を流し、憧れの対象に取材を申し込む。
格闘技グッズも増えてきて、自慢のアダルトグッズを圧倒しそうな勢いだ。

http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland4/mackyphoto838.jpg


23日に『DREAM.6 ミドル級GP決勝戦』(さいたま)、27日に『K−1GP 開幕戦』(韓国)、28日に『戦極 第五陣 ミドル級GP開幕戦』(代々木)、10月1日に『K−1MAX 決勝戦』(武道館)・・・あぁ、たいへんだ。
もちろん韓国までは行けないから、『K−1GP』はパブリックビューイングでの取材となるけれども・・・
ほかのイベントは、会場での取材。

交通費や食事代だけで済むならば、会社持ちなんだが・・・
またまたグッズを阿呆みたいに買いまくって、給料日前に泣くことになってしまうのだろうなぁ。


『DREAM』のイメージソング。
格好に騙されてはいけない、なかなかいい曲なんだな。

http://jp.youtube.com/watch?v=6RxuPiHGj0o

(Youtubeより)

ゴールは、目前

■□ 『Kitchen Works』更新情報 □■

≪映画的最前線≫
全365作のリストを掲載

≪海外女優列伝≫
マ行の女優さん、追加

リンクから、どうぞ〜♪

2008年09月02日

だから会計は、3万円を超えたりするのだ

「―お客様は現在、払い込み用紙を利用していますが、どうでしょう、口座振替にしては」
「いや、以前はそうだったんですよ。でも、振替日に口座の残高が足りないことが多くて、振替の契約を解除されちゃったんですよね」
「・・・そうでしたか」

…………………………………………

公共料金や税金の支払いを、口座振替にしているひとは多かろう。
多かろうというか、21世紀だもの、そんなことは当たり前なのかもしれない。

家賃とスカパー!料金は口座振替が「絶対」なのでそうしているが、そのほかは全て、郵送されてくる払い込み用紙でコンビニ払い。

なぜって?
冒頭の会話(電話でのやりとり)のとおりだが、6年くらい前までは振替にしていたんだ。していたんだけれども、多重債務地獄にはまって以降、ほとんど毎月「残高不足」になってしまい、向こうから振替にしましょうといってきたにも関らず、
「口座振替の契約を解除し、払い込み用紙を送らせていただくことになりますが」
と、最後通牒を喰らってしまったのであった。

面倒だろうって?
ま、それはそうだが、給料日はコンビニに寄って煙草を2カートン購入したりするので、店員さんは大変かもしれないが、自分は苦ではない。

そうなのだ、電気/ガス/電話/携帯電話/水道の払い込み用紙を一気に出しつつ、
「えーと、セブンスターのボックス、2カートン」
とかいうのだから、たとえ忙しくなくとも、店員さんはあたふたしてしまう。

バーコード通して、金を受け取り、釣りを返し、判子を押してお客様控えを返し、いくつもある煙草からセブンスター(しかもカスタムライトではなく、ソフトケースでもなく、ボックスの)カートンを探し出し、2カートンも購入するのだからとライターとか携帯灰皿とかもレジ袋に入れてあげて・・・と。

あぁ気の毒なほど、あたふたしている。

ただこっちも気を使っていて、混雑するであろう朝時や昼時は避けている。
理想的なのは深夜4時頃であるが、わざわざこの時間に出かけていっても、なぜか混雑している日もある。
そういうときは、すぐにレジに向かわず、とりあえず店内をウロウロ。立ち読みをしたりして、空くのを待つ。
「よし、いまだ」―絶妙なタイミングでレジに行ったとしても、その読みが正解するとは限らない。コンビニやファストフード店では「よくあること」だが、僅か30秒の間に混雑したり、逆に客ゼロ状態になったりするのだ。
だから、若干ソワソワした感じでレジ前に立つ自分・・・って、強盗じゃないんだから。でもコンビニで待たされるというのを「よし」とするひとは少ないと思うし、可能なかぎり、こういうところではヒトサマに迷惑をかけたくない。
キビキビしたベテラン店員さんばかりではないので、ノロノロやられると「あー、ほら、お客さん並んでいるし」とか思って、そろそろ口座振替を再契約しようかしら、、、とか思ったりもするが・・・

払い込み用紙が一気になくなっていくのもちょっとした快感なので、このままでいいかな。


ここ三ヶ月だけで、これだけの煙草グッズをもらっている
http://homepage.mac.com/ko1net/marigold/famiry/macky/photoland4/mackyphoto837.jpg


そういえばこの前―コンビニでかかっていた有線で、映画『ダーティ・ダンシング』(87)の主題歌が流れていた。
ジェニファー・グレイ、美しかったなぁ。

その主題歌、『The Time Of My Life』

http://jp.youtube.com/watch?v=5VSuCtebBT0

(Youtubeより)

2008年09月01日

「怒れる牡牛」の物語

【多くのひとに触れてほしい、マンスリー連載の映画監督評伝(毎月1日更新)】

第6部「ディレクターズ・カンパニーの物語」〜第2章〜

(前回までのあらすじ)
http://mackychan.blog.ocn.ne.jp/scorsese/2008/07/61_fd50.html

「主人公にものすごく共感したんです、“なにがしたいのか分からない”ってところが」(俳優・永瀬正敏、『太陽を盗んだ男』DVD特典映像で発言)

「たとえば『天国と地獄』のリメイクドラマとか犯人役の動機が当時と同じ儘で今の時代ではリアリティーがなかったけど。『太陽を盗んだ男』は「無気力・無関心・無感動」という団塊の世代以後の所謂シラケ世代、あるいはシラケムードの時代の雰囲気を体現してる男が犯人でしょう」(某掲示板より、『太陽を盗んだ男』リメイクの賛否について)

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下駄を履いた男はガハハと豪快に笑い、現代の映画小僧たちと質疑応答をしている。
あぁ元気は元気なんだな、映画を撮れなくとも去勢されたわけじゃないんだなと筆者は胸を撫で下ろす。

伝説の映画監督―愛称ゴジこと長谷川和彦ほど、新作の待たれる映画監督は居ない。
待たされて待たされて、待たされ過ぎて「もういいよ」という空気さえ漂う21世紀の日本映画界・・・とある識者はいったが、いやそんなことはない、室井滋との同棲や麻雀狂、酒豪などなど「映画以外」でメディアに取り上げられることが多いが、そんな情報ですら「ありがたや〜、ありがたや〜」と礼をいう映画小僧はとても多いのだ。

レナード・シュレイダー(ポールの実兄。ポールは『タクシードライバー』(76)の脚本家として有名)によるオリジナル脚本『太陽を盗んだ男』(79)は、理科の教師・城戸が原子力発電所からプルトニウムを強奪し、たったひとりで(しかも自宅で)原子力爆弾を創り上げてしまうという大胆なアクションだった。
これだけ読むとトンデモ映画のように思うかもしれない。実際、原子力発電所に楽に侵入出来るわけがないと突っ込むことは出来るが、プルトニウムを自宅に持ち帰って以降の描写はリアルだった。長谷川本人も「このとおりにやれば、実際に原爆を創ることが出来る」と発言している。尤も“創った本人が被爆する”というオチがついているのだけれども。

「原爆」を扱っているというだけで撮影中に「ある団体」から抗議を受けたが、広島出身の長谷川は実は「胎内被爆児」である。そこで長谷川は自分の「特別被爆者手帳」を見せて抗議をやめさせたといわれている。

被爆しつつ原爆を完成させた城戸はしかし、それをどう扱えばいいか分からない。なにを目的にしていたのか、していいのかが分からない。そこで、バスジャック事件で知り合った刑事・山下に挑戦状を叩きつける。
野球放送の延長、ローリング・ストーンズの日本公演を要求する―という展開は面白いものだが、しかし城戸のほんとうの望みがそこにないことは、観客でさえ分かっている。

…………………………………………

若者の「正体の掴めぬ焦燥」を描いたアクション。本作は「なぜか」ヒットせず、長谷川は大衆に失望する。
だがビデオ化されて以降、「面白い」「凄い」「熱い」という評判が若者たちの間で徐々に広がり、レンタル回転率が急上昇、『ブレードランナー』(82)化していく。
筆者は『太陽を盗んだ男』のDVD化を強く望んでいたひとりだったが、発売初日、どこに行っても手に入らないほどの売り上げを記録したのであった。

岩井俊二が『リリイ・シュシュのすべて』(2000)を「自分の遺作にしてもいい」と語っていたが、長谷川の遺作が『太陽を盗んだ男』になったとしても、いい映画人生だったよねと評することが出来るほど、この映画は素晴らしい・・・とはいえるけれど、可能であれば、長谷川の監督第三作目を観てみたい。

だが長谷川はメガホンを持たない。
持たなかったのか、持てなかったのか―いや映画を撮る気は、もちろんあった。だからこそ82年、ディレクターズ・カンパニーを立ち上げたのであった。

通称ディレカンの主要メンバーふたり―黒沢清、相米慎二―は、『太陽を盗んだ男』に関っていた。黒沢は制作進行として、そして相米は助監督として。
黒沢は撮影当時、立教大学4年生だった。

…………………………………………

穏やかな語り口とハンサムな顔立ち―黒沢清は「格好いいオジサン」だが、そのイメージに反し、創る映画のほとんどはホラーである。
ゾンビが出てきたり、血が画面を覆いつくしたり、効果音で怖がらせようとする、いわゆる「こけおどし」のホラーではない。いやそういうホラーも筆者は大好物だが、黒沢の恐怖描写は、もっと現実に根付いたものであり、だからこそ「引きずる」ことになる。そう、鑑賞を終えた翌日になっても、一週間が過ぎても、(矛盾した表現だが)爽快な不快感が脳内を支配するのだ。

和製ホラーは90年代に輸出され、アメリカを中心に『リング』シリーズ(98〜)が、ヨーロッパを中心に黒沢ホラーが人気を博した。
黒沢のカンヌ受けのよさは納得がいく。新作の度に無条件に出品出来るほどの好待遇は、ある意味で「KITANO」よりも支持を受けている証拠といえるだろう。

蓮實重彦や伊丹十三とも交流を持った黒沢だが、そのキャリアに決定的な影響をもたらしたのは、長谷川との出会いだったと思われる。
まだ映画監督デビューを果たしていなかった黒沢は、ディレクターズ・カンパニーの制作で処女作を発表する。83年の『神田川淫乱戦争』であった。

…………………………………………

つづく。
次回は、10月1日を予定。

…………………………………………

本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

09月、巻頭言

開催中のベネチア映画祭のコンペティション部門に出品されている、北野武の最新作『アキレスと亀』を、とても期待している。

北野武は、大好きな映画作家のひとり。
すべての監督作を映画館で観ているからこその苦言として、最近はキャリアを無駄に広げているだけ、ブランクを作らないようにと無理して監督作を増やしているだけ、だと思っていた。
『座頭市』(2003)以降なんて、なんだか披露する前からイイワケをいっているような「ふざけた作風」が目立ち、ほかの監督のオフザケは笑って済ますことが出来ても、北野武に関しては、そういう気が起こらないのであった。

売れない画家とその妻を描いた最新作は、もうこの物語だけでイイワケが通用しないと思う。
だからこそ、期待する。
久し振りに、素晴らしい映画体験が出来そうな気がする。


今月20日の公開が待ち遠しい。このサイトで、絶賛のことばを並べたいなぁ―切に、切に、そう思う。


【今月のスケジュール】

★本日・・・怒れる牡牛の物語
☆2日・・・だから会計は、3万円を超えたりするのだ
★3日・・・ラウンドガールは女子高生だった

@海外女優列伝(週2〜3回)・・・「マ行」、ミラ・ソルビーノから
A悪魔を憐れむ歌(月3回)・・・ロマン・ポランスキーと、シャロン・テート事件
B「土曜の午後は、キッスで始まる」―映画小僧誕生秘話―(週1回)・・・「映画比較学」
C連作短編小説に、自ら突っ込む(週2〜3回)・・・『ろくでなし外伝』

では皆さん、お楽しみに〜〜♪

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〜08年8月度のコラム一覧〜

1日…08月、巻頭言/「怒れる牡牛」の物語
2日…暴走ばあさん暴走にいちゃん、怖がるねーちゃん(自転車マナーと、団地妻との再会)
3日…ノルウェイとパパイヤ―幸福な結婚を果たせるか(『ノルウェイの森』映画化)
4日…海外女優列伝(199)ミシェル・ファイファー
5日…海外女優列伝(200)ミシェル・ヨー
6日…所、ten―満腹感を得られる心太の量とは(心太と、所英男)
7日…涙はそこからやってくる、こころのずっと奥のほう―と、ヒロトは歌ったんだ(涙を流す日々)
8日…『Sympathy for the Devil 悪魔を憐れむ歌』(ポランスキー@)
9日…「土曜の午後はキッスで始まる」―映画小僧誕生秘話その167―(映画のテレビ放映B)
10日…COLORFUL―カ・ラ・フ・ル(団地の塗装工事)
11日…『ろくでなし』外伝(7)
12日…『ろくでなし』外伝(8)
13日…『ろくでなし』外伝(9)
14日…成吉思汗を喰って、最強のMADE IN JAPAN(ジンギスカンと、五味隆典)
15日…ワンショットの裸 > 120分のドラマ の、場合もある・・・MUTEKI(女優の裸)
16日…「土曜の午後はキッスで始まる」―映画小僧誕生秘話その168―(映画のテレビ放映C)
17日…都会の絵の具の色も、悪くないぜよ・・・青い時代(バイト時代の恋)
18日…BOSE(坊主いろいろ)
19日…海外女優列伝(201)ミシェル・ロドリゲス
20日…海外女優列伝(202)ミニー・ドライバー
21日…海外女優列伝(203)ミラ・ジョボビッチ
22日…envyよりjealousyのほうが、嫉妬度が高い言葉なのだそうだ(逆かと思った)(顔、体質、才能への嫉妬)
23日…午前3時、ロックギャル泥酔す―西の歌舞伎町篇(泥酔女とジョギング男)
24日…きょうじん、強靭、いや、、、狂人GP(素敵に狂った映画監督)
25日…入れたり出したり、出したり入れたりすること・・・い、き、る(『戦極』会場の五味とゴミ)
26日…『Sympathy for the Devil 悪魔を憐れむ歌』(ポランスキーA)
27日…チャーハン冷めても、部屋はキレイに(神経質男のチャーハン)
28日…『ろくでなし』外伝(10)
29日…『ろくでなし』外伝(11)
30日…『ろくでなし』外伝(12)
31日…digiタリアン(家に地デジがやってきた)